相撲巡業 北京にて(2004年)

大相撲公演があるということで北京に行ってきました。駐在の友人にチケットの入手は任せていたのですが、相変わらず直前にならないとなかなか買えない仕組み(と認識しているのですが、実際どうなのでしょう?)なんですね。そのわりに会場前でも当日販売していたようですが。奮発して1,280元の桟敷席?(マットに座布団を置いたもの。座布団はお土産の紙袋に入れて持ち帰れる)で北京の初日公演(首都体育館)を観ました。中国でこの種の公演を見ると安いチケットで入ってきた中国人客が先に自分の座席を占領していることがあるのですが(実際この種のいざこざが一階席のあちこちであるのが下から見てわかりました)、1階席から地べたの席には降りられないので快適な観戦ができました。日本から来た裏方さんによると砂や藁は北京で集めたもので、屋形や土俵の骨組みはばらばらにして運んできたとのこと、某日系航空会社がスポンサーですから、力士ともども運んだのでしょう。
開会式の後は、相撲取りが土俵に上がり、相撲の基本動作の説明。北京出身の三段目 仲の国(安易な四股名ですが)が中国語でしこや股割りなど説明をしていました。そして定番の子供と関取の稽古。半分が日本人学校の子供で、もう半分は中国の子供。「礼に始まり礼に終わる」ということで、豆力士も礼をして登場。でも日本の子供は土俵を去るときに礼をしないで降りていこうとするので、力士が頭をつかんでむりやり礼をさせていました。中国の子供は事前に何度も言われたらしく、土俵を降りるときちゃんと礼をして降りていきました。そう、彼らはもともとやればできるんです(大人になると自分が規律正しい子供だったことを忘れる)。ときおり興奮して忘れる子供もいましたが力士も気を遣ってか、中国の子供には、頭をつかんで強制はしていませんでした。
その後太鼓の打ち分けや幕内力士、横綱朝青龍の土俵入りとつづき、本場所と異なるトーナメント形式で取り組みが始まりました。35人の力士が参加し、1回戦3番、2回戦16番、3回戦8番、準決勝、決勝と進行しました。この日は決勝で千代大海朝青龍を土俵際の上手投げで逆転勝ち。みごと初日の優勝を決めました。
本場所は最近、寄りで勝敗が決するのが大部分ですが、海外巡業ということで、投げや吊り、はてまた土俵際で一本背負いを試みたり、この頃本場所では激しい動きが減ってしまった旭鷲山も立ち合いで思い切り変化するなど、視覚的に楽しんでもらおうという姿勢が垣間見えました。半面、ケガをしたくないためか、投げをこらえずあっさりと食らっているように見えました。そんなこともあって個人的には緊張感はいまいち感じられませんでしたが、ま、海外巡業ですから。充分楽しめました。私の予想シナリオは朝青龍が2日目は優勝して、1日目の勝者との総合優勝戦に勝って総合優勝、というものでしたが、これは翌日その通りになったようです。日中のお偉方がきていたためか(といっても中国側は唐家センなど多忙の「現役」も来場していましたが、日本側はご隠居の村山元首相などでした)会場では飲食はできず(日本ではこの頃升席のタバコをめぐって話題になっていましたが、飲食、煙草もOKでした-追記:その後、タバコは禁止に)、
入り口近くで大きめの紙コップ入りのジュース(10元だったかな?)を買うことになります。また、会場に入るときに鞄などの持込はできず、預けなければなりませんでした(2元)。駐在の友人とその上司は菓子やおつまみの類を何気なく会場に持ち込み食べていましたが、特に注意はされませんでした。
日本での報道で(確か某国営放送)、中国の観客も勝負どころで盛り上がっていて(欧米に比べて)相撲をよく理解している、という相撲協会のお偉方のコメントを紹介していましたが、これは会場に在京の日本人客が多かったことによるもののように感じました。もちろん、若い中国人客や在京の西洋人なども多く来観していましたし、私の前の中国人の若いカップルはトーナメント表に一生懸命印をつけて観戦してました。30年前にも北京公演をしたことがあるようですが、このころは政治色も強かったでしょうし、経済先行で交流が進んでいるいま、文化交流が続くことこそ意義深いことだと思います。外に済む同胞も多いですから、自国の文化の再認識にもなりますし。まあ、そう堅いことを言わなくても、皆で楽しんでその後宴会でもして楽しい1日になればよいわけですから。土俵後は弓取り式、表彰式で初日は終了。2日目も見たいのですがさすがにそういうわけにもいきませんでした。
2010年追記:大相撲のNHK中継が中止になったという一報を聞いて、以前北京で大相撲を見たことを思い出しました。仲の国(本名 呂 超)はいまも現役です。
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