カナリア帯走失敗記其の一

口八丁手八丁、無理矢理押し通すつもりでした。実際、ものすごいやりとり、というか「押し」で攻めまくりましたが、失敗に終わりました。
7月11日、日本へ一時帰国する日の朝。緊張で目が覚めた。早起きしてカナリアの籠を掃除し、餌もふんだんに入れ、大事にかかえて、空港行きのバスに乗り込んだわたし。でも、出国手続きが終わったわたしの側には、もうカナリアの籠はなかった。。。大体、カナリアを持ち帰るというのが、前代未聞のことだったのです。
手続きについて簡単に説明しますと、以下のようになります。まず、中国林業庁へもっていき、検疫を受け、書類をつくります。今は香港でインフルエンザが流行っているので、「市内半径50キロ以内にインフルエンザ発生なし」の太鼓判をもらいます。それから北京へ申請しに自ら行きます。煩雑なことこの上なし。北京や上海などの直轄市にいればもっと簡単かもしれません。蛇皮のはってある二胡など、ワシントン条約にひっかかるものも、同様の手続きが必要だそうです。なんせ前代未聞のこと、中国林業庁の職員はもちろん、新潟動物検疫センターの方もご存じなくて、何度説明しても「インコでしたっけカナリアでしたっけ」すら覚えていただけなくて、電話代はかかるやらもどかしいやらで、正規ルートを聞き出すのも一苦労でした。北京領事館の方も親切でしたが、カナリアに関してはお困りのようでした。今回は北京に行っている時間がなかったので、学校の留学生事務所に頼んで、証明書を発行してもらいました。在学証明書、インフルエンザ発生なし証明書、林業庁の紹介状、等々。これでうまくいくかどうかは分からなかったけれども、よく「中国は人が治める」といわれ、実際かなりの部分、そういうことがあると身をもって体験していたので、けっこう、軽く考えていたのです。中国では「押し」ひとつで何とかなる。空港に着き、同じ日に帰国する同学達の話などまるで聞こえず、わたしは「どこから攻めようか」で頭がいっぱいでした。
(まずはガードだな)そう考えたわたしは、出国手続きの最初の関門であるガードマンを説得しようと試みました。案外簡単、各種証明書をちらつかせたら、すぐに入れてくれました。次は北方航空の職員、次は検疫担当職員、みな好意的で、次々とOKをくれました。「きっとなにかある」と思って、いろいろな口実を前々からずっと準備していたわたしはいささか拍子抜けの感すら覚えましたが、「やはり中国は押しに限るな」「もう大丈夫だ、これだけ多くの関係者から太鼓判をもらったからには、日本へもきっと無事につくだろう」と気楽に考え、同時に緊張の糸もうすらいでいきました。
最後の関門、チェックインカウンターにパスポートやら搭乗チケットをみせる。なんだか恐そうなおばさんです。大丈夫かしら・・・いや、大丈夫だ。押しで行こう、押しで。
甘すぎた。一番の難関であるチェックインをわたしは完全に甘く見ていました。まさかそこにすさまじい技の応酬があるとは、そしてわたしが「万一の時」にと考えていた最終奥義まで繰り出すとは、夢にも思っていませんでした。 (この項続きます   2002年メルマガ掲載分)