四川成都と観光客 其の二

九寨溝黄龍ツアーの他に、峨眉山・楽山ツアー、長江くだりなどの中国人向けツアーに今回参加したわけですが、こいつはもう二度とゴメンだ。と思わせられるくらい、かなり辟易させられたわけでして。まあ簡単にいえば、待ち合わせ時間を2時間以上オーバーしても平気の平左な顔であり、バス車内では喫煙はもちろん痰をあちこちにまき散らすなど。長江では、気持ちよく甲板で風に吹かれている時に泥酔客にからまれてしまい、さらには手当たり次第ドアを開けていって、部屋まで突き止められてしまった。「ようよう姉ちゃん、一緒に飲もうゼ〜」など35年前チンピラ風な絡まれ方をされて、そこへ成都で知り合った男の子がドスをきかせてくれたので、ようやく難を逃れられたのです。中国どこでもそうですが、「禁煙」と書かれたプレートの下で堂々と煙をふかす。ある意味なかなかアナーキーで「社会の掟など俺にはないゼ」的な好漢ですが、そんな彼らでも、さすがに世界遺産九寨溝では、一服もしなかったのだからすごい。偉大な自然がそうさせたのか、かなりな額の罰金がそうさせたのか。言うだけ野暮です。
もちろん、マナーが悪いといって性格が悪いというわけでは決してなく、中国ではかえって、おおらかで心の広い人が多い。おおらかだからマナーも守らないのでして。無神経、とも言えます。九寨溝ツアーで4日間隣同士だったおじさんもその一人でした。人のことをデブデブ、と呼ぶ。事実ではあるが、心中まったくおもしろくない。だが、悪気はないのです。ありのままを言って何か不都合があるか、といった具合。そうしてタバコをプカプカふかす。要するにまるで子供で、無邪気なんです。
最近ではだいぶ一般的になりましたが、中国人にとって旅行とはまだまだものすごいイベント。だから我々以上に初体験が多いわけです。飛行機も初めてという人もとても多い。神妙に客室乗務員の説明に耳を傾けたり、窓に顔をくっつけたりしている。こういうタイプの無邪気というのもあるのです。
峨眉山に行ったときもこんなことがあった。妙に人だかりが出来ているところがあって、それがただの短い吊り橋なんですな。なぜこんなに混雑しているかというと、実に簡単、こんな珍しいものは初めてだという。いい大人が、キャッキャ喜んで、吊り橋を揺らして喜んでいるんです。子供そっくり。こちらは苦笑というよりも、なんだかほのぼのとした、純粋なものを感じました。さらに、その記念すべき吊り橋で一人ずつ写真を撮る。中国人というのは、本当に、一人ずつ写真を撮るのが大好きなのです。観光地どこへ行ってもそんな具合です。だから、どこも渋滞する。みんなで仲良く団体写真、というのは殆どやらないのです。
そんなわけで、ただの短い吊り橋でも大混雑、待つことしばし、でした。
また印象に残っているのは、こういった子供らをまとめるツアーガイド。とにかく、彼らの仕事というのは大変極まりなく、本物の子供をあやす方がまだ楽でしょう。九寨溝のツアーガイドは実にまじめな男性で、やれ食事の時間が遅い、まずいだのとクレームがつく度に謝り、2時間過ぎても戻ってこなけりゃ探しに行く、しまいには「宿代と食費を計算して、余った分は金で返せ」とまでいわれて、しばしば胃薬を服用するこのガイドに、実に同情したものでした。
かと思えば、非常にいい加減なガイドもいて、まあ中国ではその方が体を痛めずにすむ。九寨溝黄龍のツアーから帰って、次に峨眉山・楽山のツアーに参加したときのこと。待ち合わせ場所でいくら待っても来ない。さてはインチキツアーだったか、と思い始めた頃、「4人、はい乗って!」とガイドが観光バスから手招きする。バスには「峨眉山・楽山」と書いてあったが、「九寨溝黄龍」とも書いてある。我々4人、ははん、九寨溝から帰ってきたバスに乗り込み、峨眉山へ行くのだな。発車オーライ。
でもなんか不安だ。「峨眉山、ですよね?」「そうよ。安心して乗ってればいいのよ」「九寨溝は、行ったんですよね?」「まだよ」「先に、峨眉山ですよね?」「先に、九寨溝よ」「九寨溝から昨日帰ってきたんですけど。。。」「!!」とまあ、やっとここで我々とガイドの間抜け具合が明らかになったわけですな。急いで引き返し、ガイド同士のやりとりあって、やや遅れて峨眉山ツアーに無事参加。本物のガイドはどうしたかというと、我々を置いてけぼりにしたという。せっかちなガイドもいれば、不真面目なガイドもいるものだと見聞を広めた次第。
いずれにしても、上記にあげた中国人観光客も、ガイドも、我々外国人も、旅行の拠点はすべて成都なのです。チベットに行くバックパッカーも、必ず成都を根城にし、またそこで一緒に行く仲間も見つけるという。また一方で、そうした客を相手に商売している旅行代理店やホテルも当然存在して。成都とはいわゆる一昔前でいうところの、関所なのです。杜甫草堂へ行ったとき「いい環境にあって初めていい詩がうまれるのだなぁ」と思ったが、学も才能もなければでてくるのはマネマネ万葉調のみ。

  これやこの 行くも帰るも 別れては

    知るも知らぬも 成都の関
                   二蝉丸(ニセ・ミマル)

訳:これがまあ、あの、チベット九寨溝を離れて行く人もチベット九寨溝に帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまたあう成都の関なのだなぁ。
(2002年掲載)
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