就活その4

新聞業界ではたくさんの学生が筆記試験を受けに来るためか、1500字ほどの小論文を書かせてふるいにかけます。某会社のその年の小論文の題は「国家」でした。W大学の情報通の人たちは「まさかあの某会社が」と思ったようです。たまたまなのですが、私は想定内でした。当時はライバル会社の方が売り上げや企業イメージも押していて、某会社は企業としての立ち位置が揺れている印象を持っていました。真摯な編集者なら未来を託する若者の考えを幅広く聞いてみようと思うことでしょう。
たまたま前々日の深夜テレビで、日本と韓国の学生が戦争責任について論じていて、彼我の国家への心理的距離の違いから論争には埋めがたい違和感が生じていて、まず術語ひとつひとつから定義を検討→決定しないと戦争責任全体の論争にならないという感想を書いただけです。
内容はどうということはないのですが、そのどこかが審査員の琴線に触れたらしく幸い筆記試験は通りました。筆記試験を通るためのマーケティングには成功したようです。
しかし、地方新聞と違ってすれっからしのおじさんばかりで面接はしどろもどろ、語学力の不足をつっこまれれてムカっときて「じゃあ皆さんはアフリカに行ったらスワヒリ語を1ヶ月でしゃべるようになるのか」と逆上してしまったので、ああ、もうダメだと思って落ち込んでいました。
で、また敗者復活のような面接に呼ばれましたが、今度は母校の職員の2次面接と重なりました。母校の方はおそらく筆記試験は上位通過、2次もまず大丈夫という感触を持っていました。
某会社は勝算がなかったので迷いましたが、結局後悔しないようにと受けました。今度は好青年?を演じ切れたらしく受かりました。母親が後ろを向いて泣いて喜んでいました。
私の家では、両親ともそれぞれの家系の中では図抜けて出来が良かったらしく、両親は自慢しない人たちでしたが、父母の兄弟(親戚)からは会う人毎に散々言われていて、一度どこかで自分のポテンシャルを示しておきたいと考えていました。見え張りだったかもしれません。どうもここで燃え尽きた気がします。
就職活動から開放されたので、翌々日くらいからおそらくこれから一生行かないかもしれない沖縄・西表島に出かけ、その後九州、四国を1ヶ月くらいかけて回りました。次にネパールへ行こうと代理店に申し込みましたが、直前に盲腸になり、キャンセルしま
した。このことはずっと心残りになってしまいました。
ちなみに学生時代は韓国に1度行ったくらいです。他には、春休みにタイに行こうとしましたが、過激派が試験を妨害するためなかなか予定が立てられず直前に申し込みましたが安いチケットが取れずに結局行かず、つまりネパールとあわせて3回行こうとして
1回行ったきりでした。(ちなみに関係した3つの旅行会社は2002年現在すべて倒産しています)

ここで就活のむかしばなしはおわりです
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