中国イスラム四大モスク

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杭州鳳凰
鳳凰寺は、中国四大イスラム寺院のひとつ(あと3つは広州懐聖寺、泉州清浄寺、揚州仙鶴寺)で、アラブ諸国でもとても有名です。鳳凰寺とは清真寺の別称で、建物の見た目が鳳凰(不死鳥)の姿に似ていることから、「鳳鳳寺」と名付けられました。

鳳凰寺で一番古い建物は寺内大殿です。奥の大殿は伝統的な中国建築になっているようです。後窰殿の中央ドーム天井の四方は、レンガ積みの持ち出し式ペンデンティヴで支えられています。礼拝大堂の背後の通路から後窰殿を見ると、手狭な敷地の周囲には、高層ビルが建っていますが、とても静かで気分が落ち着ける場所です。礼拝堂「無梁殿」はメッカの方向に建てられており、神殿中央の壁にはアラビア文字の『コーラン経典』がはめ込まれています。それは明景泰2年(1451年)お寺が修繕される時に施されたものだと言われています。寺の中に阿老丁の墓碑などアラビア語で書かれた彫刻文字が今でも保存されています。杭州アラブ諸国との友好関係はずっと昔、五代の時代まで遡ることができます。現在、鳳凰寺は杭州イスラーム教信者の集う中心拝殿になっています。

唐の時代(618〜907年)に建てられ、宋の時代(960~1279年)に壊されたそうです。1281年、元の時代(1206〜1368年)当時に有名なイスラーム人阿老丁によって再建されたと言われています。明の時代(1368〜1644)に、1451年から1493年にわたって増築されたことで、鳳凰寺の建築群になりました。1646年、清の時代に皇帝によってまた建て増しの命令が下り、鳳凰寺は当時の中国で一番規模が大きいイスラム寺院になりました。また、1953年に修繕され、そのまま現在に至りました。1961年に「浙江省重点文物保護単位」の名簿に入れられました。

鳳鳳寺は中国で一番古いモスクであり、中国とアラブ、二つの文化の特徴を併せ持ったモスクです。また、鳳鳳寺の正門や裏口にはウイグル料理のレストランが連なっています。手前に羊肉のシシカバブーやアラブパンケーキが売られていて、 独特の雰囲気を持った場所です。ですから、ちょっと足を運べば、ムスリムならではの異国風味にあふれた料理を味うこともできます。老若男女を問わず、毎年多くの旅人が訪れる観光スポットとして有名な鳳鳳寺は、杭州に異国情緒とともに、新しいパワーを注入してくれます。
揚州仙鶴寺
揚州の仙鶴寺は、広州の懐聖寺、泉州麒麟寺、杭州鳳凰寺と並ぶ、中国4大モスクのひとつです。建物の配置が飛翔する鶴のようであったため、この名がついたと言われています。中国とアラビア建築様式を巧みに融合させた建物は、保存状態が良く揚州観光の名所です。

仙鶴寺は礼拝寺とも呼ばれ、江蘇省揚州市南門街に位置します。宋徳祐元年(1275年)に、バグダードのハリーファから遣わされた普哈丁(プハティン)という名の使節により創建され、明、清の時代に修繕され、宋、元、明、清四朝のイスラム教文化の史跡が残されています。国内外のイスラム教徒の信仰を集めたこの寺は、世界中から高い評価を受けています。

使節普哈丁は聖ムハンマドの16世孫で、高い身分にも拘らず、彼は揚州の風俗や習慣に従い鶴の形を模して当寺を建てたと言われています。照壁(塀)が鶴の口ばし、エントランスが頭、細い小道が首、大殿(礼拝殿)が体、南北に並ぶ講堂、井戸、柏の巨木がその翼、目、足となっていて、大殿の後ろに広がる竹林は尻尾となります。仙鶴とは、不老不死の鶴の意味です。建物の配置が鶴のようであったので、仙鶴寺と名が付きました。現在の建物は、清の中期以後のものと見なされ、江蘇省重要文化財、中国模範モスクに指定されています。

敷地内には、東、西にそれぞれ1つの築山が配置され、それを繋ぐ長い建物は「抱山楼」といい、仙鶴寺の主体建築です。楼の下は庭になっていて、石や花で飾られ、季節ごとに異なる景色が見られます。楼の上は長い渡り廊下になっていて、廊下から庭を一望できます。巧みに配置された池や小屋、中国風の亭閣がこの庭に華やかさを与えています。楼の正面には「壷天自春」(壮麗な山河には及ばないが、小さな空間でも桃源郷という意味)と書かれた扁額が高い位置に掲げられ、左右の柱には揚州女子書画名人、李聖和氏の作品が掲げられています。ほかに、庭には宜雨軒、桂花庁、佳秋閣、清漪亭、觅句廊、透風漏月などの建物が作られており、あまり広くなく奥行の浅い敷地であっても、遠近感のある配置に工夫が見られます。

イスラム暦の祭日には、国内外からの信者たちがここに集まり礼拝をし、すでに700年以上の歴史があるこの寺は、現在、揚州とアラブ世界との友好交流のシンボルとなっています。
泉州麒麟
泉州麒麟寺は、アラビア名:艾蘇哈ト大寺(Masjid al-Ashab 、聖友寺)であるが、誤って「清浄寺」とも呼ばれてきました。福建省泉州市中心部の涂門街の中ほどに位置し、敷地面積2500?、北宋祥符2年(1009年、イスラム暦400年)に創建されたモスクです。

元至大3年(1310年)にペルシア人のイブン・ムハンマド・アル・クーズ・シーラーズィーの寄進(きしん)により再建、増築され、現存の遺構は、元至正10年(1350年)と明万暦37年(1609年)、2回の修繕を経て甦ったものと見られます。当寺はアラブムスリムが創建した中国最古のモスクであり、中国国内で唯一の花崗岩と輝緑岩(ダイアベイス)で造ったモスクです。現存する主な遺構は、正門、奉天壇、明善堂などで、イスラム建築の中では最も古いという歴史的意義から、当寺は1961年に国家重要文化財及び「中国十大名寺」に指定されました。

寺の正門は涂門街に面し、高さ13m、幅6.6m、花崗岩と輝緑岩で作られ、外、中、内の3層に別れています。外、中側はペルシア的なイーワーン型の 「ピシュターク」で、輝緑岩でできたアーチの高さは10m、内側の半ドームは白塗りで、屋上が「望月楼」と「宣礼塔」(ミナレット)でしたが、地震で崩壊してしまい、台座の部分(現在は望月台と呼ぶ)のみ残っています。台座の三面には「回」の字型にレンガが積まれ、威厳ある凛とした雰囲気が漂います。イスラム教徒たちがここで月を眺めて断食、断食明けの時期を決めることから、望月台の名が付きました。

正門の東側には「祝聖亭」が立っていましたが、現在は基礎部分のみが残っています。残存する石刻から、元至正10年に呉鑑、明万暦37年に李光缙の編集により、麒麟寺が再建された内容の記述が読み取れます。西側には長さ24.6m、幅24.3mの「奉天台」がありましたが、現在は外壁の部分のみが残っています。東の壁には頂部が尖頭アーチ型になっている大門があり、上にアラビア語のカリグラフィー(コーランの句)で飾られています。西の壁の一部は外に突き出て説教壇となっていて、壇の中央に大きなアーチ型の仏壇が設置されています。南の壁の壁面には八つのアーチ状仏龕(ぶつがん)が開けられ、同様にその上は、アラビア語のカリグラフィー(コーランの句)が石に彫られています。全ての外壁は保存状態が良く、また、奉天台の跡から大量の文物が発見されました。寺の西北に、明善堂と呼ばれる中国式の木造礼拝殿が建設され、三間取りに中庭が二つある建物です。現在見られるものは、廃址になっていた物を、近年建て直したものです。ほかに、寺内には明永楽5年(1407年)に朝廷がイスラム教、及びモスクを保護するための詔(みことのり)の石刻が大切に保存されています。

泉州は「海のシルクロード」の起点として、古くからアラブやペルシア商人が来訪して、麒麟寺はその友好交流の歴史的証しです。この寺は現在、観光スポットとして、イスラム教の研究材料として、或いは礼拝堂や結婚式場として、なお現地のムスリムたちに歓迎されています。
広州懐聖寺
懐聖寺は、獅子寺、光塔寺とも呼ばれます。中国イスラム四大モスク(あと3つは杭州鳳凰寺、泉州清浄寺、揚州仙鶴寺です)の一つです。場所は広州市越秀区光塔路56号にあり、広東省における重点文物保護単位に認定されています。唐の時代から、広州は中国海外貿易の主な港として、アラビア商売人が集まっていました。したがって、その人達が当時の政府の支持のもとで、規模が大きいモスクを建てることが出来ました。そのモスクは今日の懐聖寺であります。寺院の名前は、イスラム教の創始者を懐かしむことから名付けられました。寺院は敷地の正面に聳える礼拝大殿、三軒の組み合わせで、縁側と斗組(障子?襖などの骨を四角に組むこと)を備えた伝統的で立派な建物です。また、石板に扇子、傘、花、獅子、魚などをイメージした彫刻が施されており、どれもが鮮明です。大殿の内部は真っ白で明るく、木製の床に三面の引き戸を用い、飾りもかなり質素ですが静寂感に満ち溢れています。

元から正3年(西暦1343年)に、火災による焼失のため、現存する懐聖寺は明清時代に再建されたものです。全体の占有面積は2966?に達し、参道に沿ってたどって行くと、三重の門、看月楼、礼拝大殿と蔵経閣;西南に光塔、回廊と碑亭、正面に看月楼、その後方に月見台、洗礼堂、東西回廊などがあります。寺の色彩や装飾は西アジアの雰囲気を備えながらも、中国の対称建築様式が採用されています。

付近には、イスラム教徒向けの食材店が多数あります。羊肉やアラブ式ナンなどを入手することができます。観光の後、ちょっと足を運べば、独特の雰囲気を持つところで休憩しながら、異国情緒あふれた料理を味わうことができるのです。

光塔が最初建てられたのは唐の時代で、高さ36.3メートルで、円形で屋根の尖ったアラビア特有の建築様式で建てられている。1934年修繕され、中国国内現存するイスラム風建築の中で一番早くて特色のある古跡の一つになりました。懐聖寺は1996年11月に、全国重点文物保護単位の名簿に入れられました。

広州には、イスラム教を信仰する回族ウイグル族が数多くいますので、教徒たちは毎週金曜日の集団礼拝日とイスラム教の祭日に寺院に集います。

また広州交易会の期間中は、多くのアラビア人が礼拝に訪れます。
今、懐聖寺は中国と海外のイスラム教徒にだけに解放されており、普通の民衆が入ることができません。なお、現在、懐聖寺は広東省におけるイスラム教の中心モスク(寺院)でもあります。

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