雲南旅行記

かなり標高の高い山を越えていきますが、景色は結構日本と似ています。
ただ日本のように道の駅や峠のサービスエリアなんてなく、
前回は途中の山道で仕方なく用を足したのを覚えています。
でも今回は、途中のトイレを開放している民家が点々とあり、
どこも壁には「加水」と書いてあります。
つまり、水洗式ということをわざわざ強調しているのです。

雲南省は気候に恵まれているため、政府が90年代から始めた「退耕還林」政策が
比較的うまく行っているところです。
文革時代、山林をすべて耕地にしたけれど灌漑設備も追っ着かず農地としても役
立たず、保水力を失った山は表土を流出させ河を干上がらせ、今の環境悪化の
原因の一つを作りました。

それをもう一度山に戻そう、ということで一生懸命木を植え戻しているのです。
日本もかなり協力しています。

とはいえ、その土地を耕していた農民の生活を補償する必要もあるので、林の
一部に果樹などの経済作物を植えたりしています。


さて、大理周辺に集住する白族の女性は、藍染を作ることで有名ですが、周城で
民族衣装を着た女性に声をかけられ、自宅兼作業場まで連れて行かれました。

実は2002年も同じ場所に来たのです。たぶん同じ家だったかもしれません。

当時の話だと、このあたりの村の一人当たりの収入は、UNDPが定めている貧困
ラインの1日1ドル以下でしたが、村の暮らしは決して貧しいわけではありません。
雲南の温暖な気候、滄山という山と?海という湖の狭間で豊かな水と空気に恵まれ、
基本的には農業で自給しながら、独自の伝統的生活様式と技術を生かして観光業
でも収入を得ています。
同じ1ドル生活でもたとえば上海でのそれとは訳が違い、貧困という言葉はまったく
そぐわない感じがしたし、実際彼女たちもそう思ってなさそうでした。

そして5年後の今、おそらくもっと現金収入は得ていると思いますが、見かけはちっ
ともかわっていません。
豊かさとか発展とは何かを考えるときにはいつも、この村のことを思い出します。

大理は、城壁が今も残る(修復されたのだと思いますが)古城が滞在のメインです。
このあたりの風景は実に私の故郷の出雲地方に似ていて、特に中国に住んでいる
間に訪れたときはほんとうにほっとする場所です。
いわゆるバックパッカーの沈没地にもなっていました。

どこもかしこも10メートル先がかすんで見えない都市化激しい中国において、
いまだに空気が澄んでいて水も断然きれいな場所はものすごく貴重です。

大理で、白族の馬に乗って蒼山(ツァンシャン)という山に登りました。

急勾配の登山道を、オットと私を乗せた小さい2頭の馬が登っていきます。
乗り手をバカにしているのか、途中足を止め、文字通り道草を食ったりして
先導のおっちゃんに怒られたり。

私の乗った馬(仮名:花子)は、ずっとオットの馬(仮名:太郎)のオシリのあたりに
ぴったりくっついます。
山道を一列に登っていましたが、途中道が二手に分かれてまた一つになるところで、
急に花子が駆け出して、太郎の前に進み出ました。

すると次の分岐点で、太郎がすごい勢いで花子を出し抜こうと走り出しました。
どうやら、2頭は競争しているようです。私の倍の重さのオットを乗せているのに、
太郎は「フガフガフガ〜」と鼻息荒く、前を行こうとする花子の鼻面に突進してきました。

こうして首位を奪回した太郎は、その後も花子が「盗塁」を試みるたびに「フガッ!」と
振り返り、歯を剥いて牽制し続けたのです。

上に乗っている人間の重さも太郎にとっては勲章だったのかもしれません。
わがオットも子どもちゃんなので、太郎の功績をたたえています。

ところが、太郎が鼻息荒く頑張ると、同時におならが「ブブ〜ッ」と出てしまうのです。
私は後ろで花子の上にいたので、まるでオットと太郎が一体になって二人でブーブー
やっているように見えて、もう可笑しくて可笑しくて。

「フガフガ、ブーブー、フガフガ、ブーブー」

初めは、観光客乗せて毎日登山は辛かろうとも思ったけれど、負けん気の強い馬たちは
この仕事をきっと楽しんでいるんだろうなと思いました。 (つづきます)
(2008年ごろの内容です)
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