高校時代はワンダーフォーゲル部に所属していました。

要は山登りです。土曜日になるとニッカーズボンをはいて登校してそのまま近郊(丹沢が多かったですが)の山に行くのですが、当時の基準でもちょっとかっこうがわるい感じで最初は恥ずかしかったのを覚えています。夏は軟弱に?北アルプス合宿に行きました。南アルプスのほうが起伏が厳しいので北は軟弱コースと勝手に呼んでいたようです。そんなこんなで山に慣れ親しんできた1年の冬、近くの私立高の遭難事故がありました。私自身は直接の知り合いはいませんが、中学の同級生が多くその高校にいましたし、受験時の併願校として縁のある高校でしたので衝撃的なできごとでした。また、私たちワンゲル部の顧問(数名いましたがその一人)は山で「行っちゃえ行っちゃえ」が口癖で、分岐での判断に部員一同常々疑問を感じていて、顧問の先生の未習熟などその遭難事故の内実が知られるにつれ、指導者の判断に盲目になってはいけないことを身をもって学んだのでした。家では母親が心配そうでしたが、(顧問に関する)マイナス情報は私も口にしませんし、父親は「いざとなれば死ぬだけだ」と言っただけでした。
きのう父親の命日だったのと、週末にその現場だった白馬に行ったのでそんなことを思い出しました。生徒は15-17歳まで5名、死んでからいろいろ言われた顧問の先生もまだ35歳でご家族もおられました。気高い山容は多くの人間の思いを包み込むようでした。

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