家の近くに古ぼけたペットショップがあって、

1週間前に柴の子犬(オス)が入ってきました。まだ新しいご主人が見つからないようです。きのうは寝ていたのでそっとしておきました。早く見つかるとよいのですが・

というわけでどうでもよい私的な話で申し訳ありませんが犬の話(子供の頃かまれて入院)の続きです


隣の家でスピッツ(今のスピッツよりやや大きめ 雌)を飼っていました。 私と同じ年生まれです。(つまりコドモ時代の話) お隣さんは市立高校の女性教諭とお母さんの2人暮らし。チョンボ(名前)は朝から夕方まではいつも玄関前に座っていました。 小学校からの帰路、前を通りかかって「チョンボ」と呼ぶと玄関前からのそのそとやってくるので、鉄格子越しにひとしきり撫でるのが習慣でした。 時々は勝手に庭に入り込んで、腹を撫でたり遊んだりしていました。 赤ちゃんのころは逆にチョンボに遊んでもらってたそうです。 ですから、ごくごく小さいころは犬が好きでした。

で、入院。
父は厳格な人でしたが病院ではなぜかにこやかでした。 「こら狂犬病。学校さぼれてうれしいか」といわれたのを覚えています。6月下旬の暑いさなかに2週間もお風呂に入れないなど(シャワーなんてものもありませんし)、種々不自由だった入院生活のはずでしたが、同室の高校生と仲良くなったり、かえって懐かしい思い出ばかりでした。
退院してしばらくすると、母が保健所(だったか、記憶が定かではありません)の書類を見せてくれました。それは私を噛んだタキが注射で殺処分されたという内容でした。材木置き場の人が自主的に処分を決めて、書類を持ってきたということです。考えてみるとタキはまっしろでしたので、手入れはされていて可愛がっていたと思うのですが・・・ 母は「タキは殺されてかわいそうに」と、子供が殺されたかもしれないし、自分も危ない目に遭ったにもかかわらず、そんなことを言ってました。私が他人の庭に足を踏み入れたから彼は職務を全うしただけ。にも関わらず彼は殺されたのだと子供心に理解しました。
でもそれ以来、犬が怖くなってしまいました。 吠えられるともうそれ以上近づけないし、繋がれているとわかっていても、目の前を通り過ぎることができなくなっていました。夜、近くの柔道の道場に通っていたのですが、 帰り道は犬のいる家を避けて遠回りして帰ってきたり、それでも遭遇するときは全力ダッシュで駆け抜けたりしておりました。 一軒家ではイヌかっている家が多かったので、どこもかしこも地雷だらけです。私は歩くのがイヤになり移動に自転車を多用するようになります。
しかし、記憶はいい加減なもので年月がたつにつれて、だんだん原始的恐怖は薄くなってきました。それでも大学時分までは犬にはさわれませんでした。
1つのきっかけは、静岡の会社にいたとき。
前任と交代で長野からやってきた上司が会社の駐車場で犬を飼い始めました。奥さんが1日2回、ごはんを持ってきます。 異動のたびにそうしてきたそうで。 洋犬系の雑種の中型犬。雌で名前はエリス。最初、エリスは慣れない場所で怖かったのか、すみっこの暗がりにある犬小屋の中でじっとこちらの様子を伺っています。真夜中、観察していると、だんだんといとおしくなってきました。
私はなかなか近づくことができません。が、あるとき、上司がいっしょだったとき、思い切って撫でてみました。エリスはおとなしくされるがままで、進路を迷っていた私の心をいっときとはいえ温かくなごませてくれました。

(また折を見て書きます。たぶんあと1回だけ)

中国の大雪はまだ続いているようで合肥あたりでもずいぶん欠航等ありました

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