カナリアと画眉鳥、それからパキラ 5月1日

今日は友達と、道外にある花鳥魚市場に勇んで出かけていった。花鳥魚市場とは、読んで字のごとく、数多くの熱帯魚や小鳥、植木を売る店が軒を連ねている、ハルビン唯一のペット市場だ。卸だから、どれもとても安い。今日は絶対に、カナリアを買うつもりだった。休みまえから楽しみにしていたのだ。
しかし、思うようにはいかなかった。。。中国でカナリアを買う、それはいろいろな意味で難しいということがわかったのだが、説明するには、まず始めに、朝乗った107路線のバスから書かなければならない。
黄金周が今日から始まったとあって、バスの中はいつもよりごった返していた。その混んでいるバスの中で、なんという偶然、なんという縁、この間ハルビン動物園で知り合い、拳法を教えてくれたおじさんとその息子が、隣近くにいたのだ。目が合ってしまったので、早速、声をかけた。「目が合ってしまったので」というくだりについては、後で分かっていただけると思う。知人の家に昼飯をごちそうになりに行くという、おじさんと高校生になる息子さんは、「それまで暇だから」と、自分たちの用事もそっちのけで、我々をガイドしてくれることになった。「花鳥魚市場は不案内だろうから、案内すると共に値段も聞いてあげよう。」なんていい人達なんだろう、と思った。ところが。彼らはカナリアの名前すら、知らないのだ。鳥に関しては、自分の方が良く知っている。第一、花鳥魚市場に行くのは最初ではない。値段も自分で聞ける。かえって、足手まといになるのでは。。。という嫌な予感がした。そして、ある意味で、この予感は的中した。カナリアの善し悪しより先に値段だけ聞いて、「400元も出す馬鹿がどこにいる?」「2,30元のカナリアなんてすぐ死ぬからつまらない」といって見ようともしないので、何度となく切れそうになった。でも、根はいいおじさんなのだ。おじさんは、歯に衣を着せない。それは、性格がまっすぐだからに相違ない。でも、ハッキリ言って、私はこのおじさんがあまり好きではない。話すときに妙に顔を近づけるのも嫌だし、現実とはいえ、何かにつけ「デブ」、例えば「運動しないからこんなに太る」「うちの奥さんもこれぐらい太ってる」を繰り返すし、「あんたの中国語はへたくそだ」「全然良くない」も繰り返すし、それはダイエットや勉強の原動力に跳ね返るにしても、あまりいわれ続けると、長時間一緒にいるのは苦痛でしかなくなる。しかも息子まで同じ性格、同じ事を言う。そのたびにいちいち「まだ中国語を始めて半年とちょっと」といいわけするのもイヤらしい。だから、「目が合ってしまったので」仕方なく、声をかけたのである。カナリアの素通り、そして言いたい放題のおじさんと息子に、次第に疲れてきた。そしてついに、おじさんは店員から次の情報を手に入れた。おじさん曰く、「ホントにいいカナリアは、ここでは売られていない。愛好家同士で、取り引きされるから。だからいくら探したって、手に入らないよ」。おじさんから受ける精神の疲労度も重なって、だんだんとカナリア探しに徒労を感じてきた。心なしか、どのカナリアも大して良くないように思えてくる。足輪もはめていないし。。。色も白っぽいのが多い。巻き毛が多く売られている事から、こちらでは歌声よりもむしろ、観賞用に重きを置いているらしい。中国には画眉鳥という歌姫がすでにいるからなのか。おじさん達と別れる頃には、カナリアを買う気合いはもう、すっかり失せていた。
カナリアは、日本が一番だ。思い出せば、香港にいたカナリアも質より量だったように思う。それに、やはりカナリアの歌声は、中国では弱々しく感じる。大きな画眉鳥の力強く鳴く様に、カナリアの声はほとんどかき消され、また彼らも歌うことを忘れてしまったかのように力無い。
ここ哈尓浜市内では、静寂というものがない。ひっきりなしに鳴り続ける車のクラクション、大声でかわされる中国人の会話。それに太刀打ちできるのは、カナリアでは役不足、やはり画眉鳥なのだ。。。「元々、学校でペットを飼うことは禁止されているので、もう諦めました」と力無くいい、おじさん達と別れた。
おじさん達によって、じっくり見たかった自分の期待は大幅に裏切られた。だが、中国に於いてカナリアの存在がいかに頼りないか、反面、歌姫すなわち画眉鳥の存在がいかに大きいかを自分に知らしめてくれたのは、彼らに他ならない。一つ一つじっくりではなく、流しながら見るのも、中国人の買い物の仕方なのかもしれない。そう思うと、実りのある一日であったといえなくもない。
しかしこの時は、疲れ切っていた。一般的に、頭が疲れていると、自然買い物する気力も失せるものだ。今日は適当に流して帰ろうか。。。
気を取り直したのは、友達が小さな鉢植えを買ってからだ。確かに、ものすごい混雑のバスに小一時間揺られ続け、やっと着いたからには何か買って帰った方が、良さそうに思える。疲れていたけれども、寮に帰っても何もなし、という寂しさを想像する気力はまだあった。そこで、まえから欲しかった、大きめのパキラを買うことにした。市中心だと168元はするが、卸なのでぐっと安くなる。だんだん元気を取り戻し、値切りに値切って、50元で落札。置く場所も決まっている。楽しくなってきた。こちらでは、パキラは「発財樹」と呼ばれ、大変縁起がいい。日本語にするなら、さしずめ「金のふえる木」といったところか。大きいだけあって重かったが、ようやく手に入れたのでやっぱり嬉しい。でっかいパキラを持っていると、注目される。それはかまわない。でも、今日、パキラを部屋に運び入れるまで、何人の人に尋ねられただろう。「それ、いくらで買ったの?」そのたびに、「50元」と素っ気なく言い返す。手で表現することもあった。「まあまあだね」という人もいれば、黙っている人もいるが、みんな一様に満足している。ハルビン人は、ホントに好奇心が旺盛だ。
極めつけは、いよいよ大学内に入ろうか、というときに5,6歳の小さな女の子から、「それ、偽物?」と質問されたことから始まる、問答だった。「本物だよ」というと、まるで大人のような口振りで、やはり「いくらで買ったの?」。「50元。どう?」多くの人が考えるときするように、彼女は首を傾げ、人差し指をあごの方に持っていき、待つことしばし、「うん、高くないんじゃない?いい買い物したよ」。・・・ハルビン人、子供の頃からハルビン人・・・くだらない句が、一瞬脳裏に浮かんだ。二言三言彼女と会話し、大学内へ入っていった。寮の近くまで来たところで、知り合いの山本さん(仮名)が近づいてきた。開口一番、「それ、いくらで買ったの?」。・・・彼女はバリバリの大阪人だ。どこかが、ハルビン人に近いのかもしれない。彼女も同じ日に哈尓浜へ着いたのだが、2ヶ月以上たった今、すでにハルビン人になっているのだろうか。しかし、反応だけが違っていた。そして、彼女は一生ハルビンで暮らすことができるだろうと、確信した。
「50元?うわ、めっちゃたっか〜」。。。。。

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