2002年9月8日 ナシ族の街−麗江古城

明けて8日の日曜日、雲は昨日に増して厚く空を覆っています。国内線は一時間前にチェックインするのが目安ですが、8時25分離陸予定の麗江往き雲南航空 3Q4417便のチェックインはすでに6時50分から始まっていました。出発ロビーのある2Fへ上がってみれば、国内線のチェックインカウンターがずらり!空港ビルのほとんどを占めているといってもいいほどです。しかも案内画面にはカウンターナンバー表示なし(らしきものはあるが一致していない!)、聞いても気の利いた答えはかえってこない…、幸い手続きを行っているところがそう多くない時間帯だったのですぐわかりましたが、はじめての場所は面食らうことばかり。のんびりとセキュリティーチェックを済ませて待合室に向かっていたら、いきなり搭乗開始のアナウンス!あまりに早すぎるので聞き間違えかと思いましたが、8時25分離陸の飛行機への搭乗は30分以上前の7時50分。なるほど、チェックインは搭乗開始の一時間前からだったですね。のんびり"西北"気分でやっていたら、こちらではおいていかれそうです。飛行機は10分ほど遅れて離陸、麗江までは約30分。厚い雲を抜けて着陸態勢に入ると、幾重にも連なる山の尾根が霧の間を通り過ぎていきます。機内アナウンスによると地上気温は摂氏12度。雨が降ったらしく、綿の半袖ブラウスに化繊の長袖ブラウスを羽織った身にはやや肌寒いですが、空気はかえって新鮮で爽やかに感じられます。市内への足はミニバスより一回り小さい専用の"面包車"かタクシー。私はお金より時間節約のためタクシーを選びました。規定料金80元、市内まで30分ほどかかります。寂しい山間の道を通るので夜だとちょっとコワイかも(^^;
麗江は昔ナシ族の王国があったところで、いまでも人口の大部分はナシ族、その象形文字トンパ文字はよく知られています。わたしがはじめて出合ったナシ族の人は市内まで乗せてくれた運転手さんでした。大柄な体格に、ちょっと見はすごみの利いた顔立ち、機関銃のようにしゃべりまくり、豪快に笑う…、まさに水滸伝に登場する孫二娘のイメージ、そうなんです、この人、三十代の女性。「泊まるとこは決まってるの?」「ま、まだですけど、玉泉賓館か古路彎賓館にしようと…」言いおわらないうちに「玉泉はよくないよ、古路彎はボロだしね!やっぱ"古城"の中でなきゃ。あたしに任せなさいって、庭にお花が咲いててナシ族情緒たっぷりのとこ紹介すっから!」というわけで、彼女にお任せすることにしました。宿は古城(旧市街)入口、大水車の右手高台にある"嵌雪楼"という旅館。門まで続く狭い急な石段を上がると、海抜2,400メートルのこの地ではさすがに息がきれます。古風な門をくぐり回廊を抜けると鉢植えを並べた石畳の庭に面して二階建て木造の宿泊棟があり、なかなかの風情です。もともとが明代末期に創建されたお寺の跡で、玉龍雪山を一望できることから清代には有名な詩人も訪れ、1988年に県の文化財に指定されたそうです。古城内には"客桟"と呼ばれる昔ながらの旅館(旅籠)が多いですが、この宿はそれよりワンランク上で、各室にシャワーと中式トイレを備えたツインが表示価で一泊200元(この設備にしてはかなり高め)。そこで160元と言うのを150元にしてもらいました。
荷物を解いて落ち着いたところで、時計を見れば10時半すぎ。散策がてら古城で食事をとることにしました。入った門とは別の観音堂側の門を出たところからは古城を一望することができます。お店もまばらな最初の狭い石畳の道を南へ歩いていくと10分足らずで広場のような開けた場所−"四方街"に出ました。なるほどここから四方に何本も道が出ているからでしょう。ここで食堂を探したのですが、あるのは喫茶店のような店ばかり。仕方ないのでそのうちの一軒で"伝統ハンバーガー"なるもの(野菜ばかりで肉ナシ)を朝食にし、古城を抱く獅子山上の"万古楼"まで上がってみることにしました。
四方街から万古楼の入口までは狭い石畳の坂道、その両側に銀細工のお店ばかりがずらりと並び、店先で銀の板棒を叩いて加工していました。麗江に来て、働いているのは女性ばかりと思っていましたが、さすがに銀細工は男性の仕事のようです。民族衣装姿の若奥さんが店番する"偉樹工芸品店"で銀製の髪飾りやアクセサリー、耳かきなど日本へのお土産を調達、ずいぶんまけてもらい、帰路にはお茶をご馳走になりました。ナシ族女性の民族衣装は頭に日月を冠り、背に北斗七星と山羊の毛皮をつけます。この毛皮、おばあちゃんたちのはほんものでも、若い人たちのは人造なのだそうです。
坂を上がりきったところで入場券(15元)を買い、しばらく山道を上っていくと木立の間から立派な楼閣−万古楼が見えてきます。麗江市内で一番高いところ、高さ22メートルの楼の上からは遮るものなしに四方を見渡すことができ、お天気さえよければ玉龍雪山もさぞきれいに見えることでしょう、が、この日は残念ながら陽がさすかと思えば小雨がぱらつくというあいにくのお天気で、古城全体を見渡すにとどまりました。
万古楼の麓には、目を引くひときわ立派な建築群があります。解放前まで代々ナシ族の土司(王)を務めた木氏の役所兼お屋敷跡で、土地の人は"木府"と呼んでいます。清代の建物は残念ながら文化大革命時に破壊され、いまあるのは新たに再建されたものですが、雲南チベットを結ぶお茶と馬の交易路"茶馬古道"の中継地を治めた木土司の勢力がいかに大きなものだったかよくわかります。故宮なみに高い入場券(30元)を買って一巡りしましたが、中軸線上に並んだ役所部分と、その東にあるナシ族の生活文化を展示した邸宅部分を見て回ると二時間はたっぷりかかります。中軸線の最北端には道観(道教のお寺)があり、現役の道士が四人ほど観光客?の運気を占っていました。(つづく)
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