北京・哈爾濱なんとなく比較と肉離れ(前半)

北京と天津の旅から昨日帰ってきて、まだ疲れはとれずぐったりしていますが、北京と哈爾濱のなんとなく比較論を書いてみようと思います。北京は首都だからもとより都会。ハルビンの田舎具合が強烈に浮き彫りにされてしまった。北京はホントに都会だった。。。町中のトイレはみんなキレイだったしね〜最近はドアなしをみても、まったく何も感じなくなっているんだけど、北京の郊外でもドアはあった。壊れていたから開けっ放しにしたけど。こっちのトイレは、老舗高級デパートの地下で5角(7.5円)もとるくせに、ドアなし、紙なしはまだよいとしても、便器が一本共同のがつながってるだけなんだよ。まえから○○や○○が流れてくる。。。さすがオリンピックに向けてがんばっているのか、北京ではそんなことなかった。まあもちろん胡同(民家の集まっている狭い路地)の公共トイレはまだまだなんだろうけど。。。
鳥を飼っている人が多かった。植物を育てているうちも多かった。狗肉店が見あたらない。女の子でタバコを吸う人のなんと多いことよ。韓国の音楽が流行っていた。特にH.O.Tという韓国音楽グループの解散は大きなニュースだった。中心部は道路がよく整備されていて、ほとんど穴がなかった。キレイだった。みんな外人慣れしていて、あまり不愉快な思いはしなかった。こっちは外人と分かるとあからさまにじろじろ見るので。自転車の量はさすがにすごかった。ハルビンでは自転車に乗る人はほとんどいない。北京にあるような専用の自転車道もないし、自動車やバスの運転マナーが悪いから。北京なら運転できそうだと思った。タクシーの運ちゃんが、まがるとき、こちらへ手を挙げたのをみて、ものすごい感動した。北京には、モラルがある。それにハルビンより痰を吐かない。手鼻もあまりかまない。立ち小便もすくない。マックとケンタッキーはそれぞれ50店くらい、スターバックスは10店くらいあった。吉野屋も12店あって、一番美味しかった食事は吉牛大盛り生卵だった。2回食べた。マキシム・ド・パリにもいった。ハードロックカフェにも行った。マックとケンタッキーは哈爾濱にもあるけど、吉野屋とスターバックスはない。スタバは嫌いだけど、喫茶店がないので、つくって欲しいなあ。
食事は、だけど、さすがに3ヶ月食べ続けているハルビンの方が美味しかった。小汚い店にも入ったけど、地元風味の店にも入ったけど、美味しいには美味しいが、すぐ飽きた。ハルビンに帰って、昨晩友達らと近所の店で食べた大好物の「家常涼菜」はうまくてうまくて、「これこれ」と思いながら、ばくばく食べた。ジャガイモも、ハルビンの方がうまい。これまた大好物の炒めた「土豆糸」も食べ尽くした。
住むなら大連の方かもしれない。大連のほうがのんびりしているし、こぢんまりしているから。家庭料理も海鮮も美味しいし。どこも一長一短という気がする。餃子はなんといってもハルビンだから、北京や大連の餃子は美味しくない、でも家庭料理は大連が美味しい、でも言葉がなまってる。ハルビンは汚い街だけど、言葉は標準語だし、5月でもそんなに暑くない。北京は日差しがきつい、夏が暑い、でも衛生的だし、都会だし、退屈しない。何より歴史がある。古い。ハルビンは歴史が浅いし、それに公園も少ない。でも、物価が一番安いのは、ハルビンだ。時々退屈するけれど、冬も長く厳しいけど、間をとって、留学先をハルビンに選んでよかったかな〜と、何となく思った。
この休み中、友達の旦那さんが初めて中国に来て、こういったそうだ。「中国では何をするのもエネルギーがいる」。まったくその通りで、ただ歩くだけでも体力がないとダメだ。ぼけぼけしていると、だまされる、かつがれる、すられる、人とぶつかる。切符を買うのでも、ぼけっとしてると割り込まれるし、愛想がないので強気じゃないとダメだ。ものを買うのでも、定価がないから、いちいちまけさせなければならない。疲れが頂点に達すると、買い物ができない。相手のいいなりになるしかないから、ものすごく高くつく。向こうも疲れているのを察して、いいよってくる。断る気力もないときは、最悪になる。今回、北京からハルビンに着いたとき、疲れに疲れ切っていた。それに大荷物だった。そこへ、荷物運びがいいよってくる。ひとこと「要らない」というのが精一杯。でも相手は疲れているのをいいことに、バッジを見せて、やれ本物だ、大丈夫だ、第一そんな荷物もてるのか、とべらべらまくし立ててくる。それだけで疲れる。うるさい。しつこい。元気なときは、「自分でもてるからいいよ」といえる。持ってもらうにしても、値段の交渉だって前もってできる。でも、この時は相手のいいなりにならざるを得ないほど疲れていた。運び終わって、「50元」。この数字を言い出すとき、彼がやや躊躇していたのを忘れない。あまりにも法外だからだ。50元あれば、ビールが25本飲める。チチハルのホテルは一泊50元だった。まだある。マイクロバスの客引きが、近寄ってきた。「黒大まで、20元」。疲れている頭でも、分かっている。二人で20元ではなく、一人20元なのだ。こういうときは前もってしっかりと「二人で20?それとも一人20?」と交渉しなくてはならない。だいたい、哈尓浜駅から黒大までは、タクシーで20元かからない。バスだと0.5元だ。降りるとき、運ちゃんが「一人20だからね、一人20だからね」と念を押すようにいった。こちらが不満を訴えるのを、前もって牽制しているような、不安な顔つきだった。
だから、中国で疲れないためには、また事をスムーズに運びたければ、こうも言える。「湯水のごとし、金を遣え。相手のいいなりになれ」。しかし留学生の身ではそれほどお金もないし、また留学生として失格だ。「旅先から帰る分の体力は残しておけ」、これがぴったりだろう。
なぜゆえこれほどまでに疲れたのか、それにはいくつかの理由がある。まず、6日間の行程で、行きたい場所すべてをまわったこと。38度、40度にいかなくとも、毎日30度から34度、それに晴天続きだったこと。出かける当日、喉が痛くて37度以上の熱があったこと。かたわれが荷物預かり所の番号札をなくしたこと、直前切符が見つからなかったこと。そして、これが一番大きな理由なのだが、二日目に腿を肉離れしてしまったこと。生まれて初めての肉離れは、想像を絶する痛みだった。
(2001年掲載  一部伏字?にさせていただきました 長くなったので2回に分けます)
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