北京・哈爾濱なんとなく比較と肉離れ(後半)

その日は、中国人向けの長城・明の十三稜一日ツアーに参加していた。そのツアーもいよいよ最終、最後の見物「定稜・地下宮殿」に行ったときだった。地下へどんどん潜る、ついた最下楼の床は、一面、ゴム。最後だったので夕方,清掃員達はすでに一日の汚れを落とすべく、たっぷり水に浸したモップで掃除をしていた。床はつるつる、展示物を観るため注意は散漫、つまり誰が滑ってもおかしくない状態だった。転べばよかった。まだましだった。右足を滑らしたところで、左足でブレーキをかけてしまったから、左腿の筋肉に異常な負担をかけてしまった。一瞬、何が起こったのか分からなかった。立つことも座ることも動くことさえできない。汗、冷や汗が滝のように流れる。曲げると激痛が走るし、立っていてもらちが明かない。真っ白な頭の中に浮かんだのはただ、「やっぱり賽銭をくすねようとしたからバチが当たったのだろうか・・・」だけだった。
その後のことは、あまり詳しく覚えていない。とにかく、親切な北京人の大姐に助けられ、貧血を起こしながら、地上に出た。彼女はタオルを水で冷やしたり、水をもらってきてくれたりした。しかしここは中国。どんなに具合が悪かろうが、なんでも中国語を使わなければならない。貧血は分かる。でも、日本でさえなったことのない肉離れを中国語で何というか。後で分かったのだが、「筋肉断裂」という至極簡単な単語でよかったのだ。この時は「筋肉と筋肉が分かれてしまった!」といった。一応通じたみたいで一安心。でも、病気・けがの単語は一通り覚えておこうと、真剣に思った。
それから、迷彩服を着た若者の特攻隊(編者注:軍人と思われます。)がタンカーを持ってきてくれ、寝かされ、広場まで運んでもらった。「体重が重いから、申し訳ない」という言葉に、「大丈夫大丈夫!」と頼もしい返事。さすが男四人、と思っていたが、「やっぱりダメだ〜」と、途中何度も休憩を挟む。
この時、絶対ダイエットしようと、真剣に思った。
広場につくと、土産物屋のおじちゃん、おばちゃん、観光客がいっせいに近寄ってくる。タンカーに寝そべっている肉離れ&貧血の日本人を中心に、口々騒ぎ立てる。「ふくらはぎなら分かるけど、腿とはねぇ〜!」「一体彼女は韓国人なのか、日本人なのか」「ほら苦しんでるよ、耐えられないんだよ」「タクシーで市内まで200元くらいかね〜」「医者に見せてもらった方がいいよ」・・・助けてくれ〜、肉離れより、見せ物になってる方が辛いんだよ〜
ようやく、バスの添乗員さんが来てくれた。が、土産物屋のおばさんは喧嘩腰だ。「どう?バスで帰れる?」「何いってんのよあんた!耐えられない痛みなんだよ、タクシーに決まってるだろ!」「でも・・・」「足も曲げられないのに、どうやってバスに乗るのさ!」気の弱い添乗員さんに申し訳なく、さりとて土産物屋のおばさんの好意も捨てがたく、両方の顔を立て、円満にこういった。「や、耐えられないには耐えられないけど、さっきよりだいぶよくなったし、それに200元も持っていないから、バスに乗りますよ」。バスの一番前を開けてくれ、振動は辛かったけど、なんとか乗ることができた。「肉離れを起こした日本人情報」はすでにバス内に伝わっており、みな好意的だった。北京駅に着いたときには、口々に「大丈夫?」「お大事に」といってくれたし、後部座席においてあった数々の土産物も、さわやかな青年が届けてくれた。バスの運ちゃんも、みんなをおろしたあと、ホテル近くまでわざわざ送ってくれた。腿は痛かったし、医者に見せた方がいいか、不安もあった。貧血も起こしたし、汗も沢山かいたから、疲れ切った。でも、この時の心持ちは、今思い出しても、温かいというか、なんだか妙に嬉しい。口がいい人も悪い人も、皆それぞれに優しかった。親切だった。
これが今回の旅行で、一番疲れた原因の顛末だ。この痛んだ足で、翌日は天津。観光を続けた。長く留学生生活を送っている学生、一般に老同学というが、皆口々にいう。「旅をすればするほど、強くなっていくんだよ」。確かにそうだ。今回は、つたない、インチキ中国語で、随分乗り切った。あいかたが荷物預かり所の番号札をなくしたときも、終始強気で、「番号札はなくしたが、預けたのは9時半、黒のバッグとストライプのバッグ二つ、中身はなんたらかんたら・・・とにかく中へ入れて探させてくれ」といって、めでたく荷物を見つけることができた。
帰る直前になって、切符が見つからなかったときも、やはりそうだった。切符売り場で大声で説明し、改札で大声で説明し、ホームで大声で説明し、駅長に大声で説明して、切符なしでも何とか乗ることができた。
まけさせるとき、時には演技も必要だということも覚えた。初めての店なのに、「おばちゃ〜ん、また来たよ〜。昨日確か、一個20元を8元でいいっていっていたよね?」といけしゃあしゃあ、苦労せず買い物したこともあった。
ちなみに、おばちゃんと呼んではいるが、日本では立派にお姉さんだ。こちらでは、日本と逆に、相手を持ち上げるときは年齢を多めにみつもる。最初は慣れず、「小姐(お姉さん)」と呼ばれずに「大姐(あねさん)」と呼ばれたときはなんだか複雑だったが、これは尊敬語に当たるのだ。故宮で、中国人に写真を撮ってくれ、と頼まれたとき、「阿女夷(おばさん)」と呼ばれた時は、なんだか、気分が良かった。相手は、子連れのお母さんだった。
怪しい日本語を話す怪しい中国人は、日本では逆になることを知っているから「お嬢さん!」と呼んでくる。中国語を解するのが分かると、「小妹妹(かわいこちゃん。死語か?ニュアンスが難しい)!」と呼んでこちらの気をひく。あいにくこちらはすでに中国式に慣れてしまっているのだよ。悪いな、あんちゃん!そういえば、19の頃、幼稚園児に「おばちゃん」と呼ばれ大ショックを受けたことがあるが、ヤツはきっと中国人だったに違いない。過去のトラウマを解消するいい材料が見つかった。よし。
疲れに疲れて、ハルビンで一挙にぼられたけれども、覚えたことは多かった。こうやって、徐々に中国に慣れていくんだろう。なんだかんだ、中国人は嫌いじゃないや。それに、どうも中国初心者は、トラブルにはできるだけあった方が身になるらしい。順風満帆は、気分がいいけれども、ちょっとばかり辛みを効かせた方が、ためになる。
この肉離れの話は、なぜか今日、日本人中に知れ渡っていた。狭い社会はこれだから困るの〜さて、また日常の生活に戻るべく、明日の予習でもしますか。
★ 後日談
この旅行以来体調をすっかり壊し、扁桃腺の腫れがおさまらなくなった。無理を続けると、後にたたる。気をつけるべし。おかげで、病院にかかる羽目になった。医者は外国人が珍しいらしく、熱があるというのに関係のないさまざまな質問をこちらへ浴びせたあげく、「会話も聴力もバッチシ」などといわれ、思わぬ所でテストになってしまった。点滴の入れ物に入れられた怪しいうがい薬と、これまたチベット語?で書かれた漢方薬を処方されたのだが、効き目の方は、まだ腫れが続いている所から察していただきたい。
2010年追記:筆者のあんとさんは一時期国の時に扁桃腺手術をされたそうです。
(2001年掲載  一部編集しました)
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