2002年9月9日玉龍雪山の懐へ

麗江滞在二日目の朝、カーテン越しの空はうっすらと明るく、玉龍雪山を見るには相応しいお天気が期待できそうです。このあたりは標高があるので朝晩は寒いくらい、おまけに昨晩ぬるめのシャワーを浴びて風邪をひいたらしく鼻水がとまりません。しかもきょうは海抜3,700メートル近くまで上がるので防寒具は必須。長袖のブラウスにウールのカーディガンを羽織り、さらにフード付きの防水ジャケットをリュックに詰めました。昨日の運転手さん(以後、和さんと呼びます)とは宿の向かいの格蘭大酒店前で8時に待ち合わせの約束。少し早めに着いて待っていると、あっという間に4〜5人のナシ族女性にとり囲まれ、「うちの車に乗らないか」と熱心な勧誘攻め。恐るべし、ナシ族女性パワー!挙句、迎えにきてくれた和さんまで"勧誘"と勘違いしてしまいました。
彼女、朝からとびきり上機嫌ではりきっている様子。「きょうは一日、たっぷり遊ばなくっちゃね、女どうしってやっぱいいわー、それにしてもアハッ、あたしを勧誘と間違えるなんてねぇ、ハッハ」なんて調子でさんざん話題にされてしまい、そのうちしんみり身の上話までし始めて、なんなの?と思ったら「このあいだ乗せた漢人の客には同じルートで120元って言ったんだけど、あとで20元余分にくれたのよ」ははーん、運賃もうちょっと色つけてくれってことなのね、と納得。もちろんこちらだってそのくらいの心積もりはあります。タクシーを一日借りきって100元はたしかに安い、空港から市内までだって途中有料道路を通るとはいえ80元かかるし、昨日の運転手さんは玉龍雪山方面一日200元と言っていました。もちろん現地旅行社が主催するツアーなら、バス代、入山料、リフト代、昼食すべて込みで160元ほどで行けますが、時間の自由はききません。その点"女どうし"の貸しきり車なら気楽なものです。
市街を抜けるといきなり何もない平原の一本道、他に通る車もなくまるで貸切道路を走っている気分です。しばらくして左手に大きく聳える山が現われます。険しそうな山肌を見上げれば、その奥にひときわ高くのぞく雪峰、玉龍雪山の主峰です。頂きから立ち上る霧が時に薄絹のベールのように雪峰を蓋う様はいっそう神秘的、さすがナシ族の聖なるお山です。その先にある料金所ではすでに数台の観光バスが並んでいました。ここで入山料65元を払い、道はいよいよカーブの多い山坂になります。和さんのおしゃべりの話題がこんどは"馬"に変わりました。「これから上る"マオ牛坪"と"雲杉坪"は馬で上ることもできるのよ、あたしは怖くてとってもダメだけど、あんたはどう?」最初からリフトで上がるつもりのわたしは別に意にも介さず、「一回くらいは乗ったことあるけど、動物は好きだから怖いとは思わないわ」と、あとから思えば不用意な答え。"雲杉坪"の入口を通り過ぎ、さらにその奥の"マオ牛坪"に着いたのは午前9時を回った頃。車はなぜかリフト乗り場のはるか前方で停車、「着いたわ、さっ、はやくしないと"馬"がなくなっちゃうよ」見ればここは"馬乗り場"、ということは…、ええっ、馬で上るの?!というわけで文句を言う間もなく馬上の人に。
馬代は往復で63元、リフトとほぼ同じですが、端数の3元というのは何でしょうか?小屋でお金を払うと紙切れの切符を渡され、戻った時、手綱を引いてくれる馬子に渡すよう言われます。馬子はこれで63元のうち何割かを賃金としてもらうのでしょう。
わたしが乗ったのはかなり小型の馬でした。ぬかるんでところどころ水溜りのある狭くて急な山道をいっしょうけんめい足場を選びながら上っていくのですが、馬上でもかなりしんどそうなのがわかります。「この馬、まだ子どもじゃないの?」「もうおとなさ、4歳だもの」「この子、名前なんていうの?」「"シーユイ"っていうんだ」「一日何往復くらいするの?」「忙しい時なら三往復はするよ」
馬子の徐少年は14〜15歳くらいでしょうか、彼はナシ族ではなくこのあたり一帯に多く住むイ族。シーユイは彼の持ち馬で、ときどき名前を呼んで首を軽く叩いてあげると元気を取り戻すのか歩みも早くなります。