魯迅と高村光太郎

今週二本松方面に出かけるのでニワカ勉強で高村の詩集(お恥ずかしながら知っているのはレモン哀歌など3編だけです)に目を通してみました。「道程」の冒頭「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と魯迅の「故郷」の末尾「我想:希望是本無所謂有,無所謂無的。這正如地上的路;其実地上 本没有路,歩的人多了,也便成了路。(「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。それは地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」竹内好訳)は確かに似ている表現かもしれません(残念ながら学校の授業では前者を朗読した記憶しかありません。魯迅の作品は教科書にありましたがそれが「故郷」だったかどうか恥ずかしながら記憶が判然としません。社会人になってから「故郷」を含むいくつかの作品集を読み深い尊敬の念を抱いた次第)。でも前者(高村の詩集)から漂う個人的なナルシズム?が今の私にはどうも照れくさい感じ。一家をあげて移転するときの最後の帰郷を描いた「故郷」は、封建的な身分慣習に対する越えがたい壁を感じつつ、でも子供たちが身分を越えて交流するのをみて次代には希望がある、と上記の一文で結ばれます。わたしには適切な批評などできませんし、作品への感想はここでは略させてもらいますが、両者はかなり異質の作品だと改めて感じました。
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