中国の病院編その2

そこは、毎日気が滅入ることばかりで、確かに、健康な人も具合が
悪くなりそうなほど、精神衛生的に最悪の場所である。
約1週間ほど入院し、点滴で栄養を補給できたせいか、見た目にも、
だいぶ元気になったので、一般病棟へ移してくれと頼んだが、
ここには一般病棟はない、とあっさり言われる。
学校の先生に相談して、転院することを決めたのだが、担当医に話すと
慌てた様子で、ウチの病院の一般病棟へ移れば良いじゃないか、という。
この前ないって言ったでしょ、というと、ない訳じゃない、ベッドが空いてない
ってだけだ、昨日ベッドが空いたから今日にでも移れる、といわれる。
後で知った話だが、救急病棟は治療費や入院費が高いらしい。
保険付きの外国人は金づるで、救急病棟へ置いておきたかったようだ。
しかし本人がどうしても移りたいと言うので、担当医の制止を振り切って
転院を強行し、普通の病院の普通病棟へと転院した。
しかしやはり、そこは金づる?の外国人、3人部屋を丸ごと与えられたので、
付き添いの人もベッドで眠ることができるようになったので、交替で泊まって
いた男の子達もだいぶ楽になったようである。
そこに約10日ほど入院し、本人たっての希望で帰国することになった。
転院後も検査が続いたが、どこが悪いのか、ちっとも分からずに、彼は
日に日に衰弱し、自力で起きることも、歩くこともできなくなってしまった。
後で本人から聞いたのだが、転院後、日に日に弱っていく彼に、
私は、「このままここにいたら死んじゃうよー」と、言い放ったらしい。
アクマのような発言ではないか・・・
しかし、「あの一言が決め手でした、センベンさんのお陰です」と
元気になった彼から、お礼を言われた。
いくら何でも病人に向かって、そんな失礼な口は叩かないよー、と
思ったが、全く記憶にないのだが、どうやらホントに言ったらしい。
そして、そんな失礼な言い草に感謝されると、やや複雑な気分である。
帰国は、病室からタクシーで空港へ行き、日本では空港から病院へ直行して
即、入院という手筈である。
彼と同郷の男の子が一人、付き添いで帰国することになった。
荷物は貴重品のみの必要最低限で、領事館から空港に連絡してもらい、
セキュリティー検査も出国審査も免除で、彼は無事に帰国していった。
中国での帰国直前の最終検査結果は、重度の胃炎という事だったので、
体力が回復してから帰国を・・・という話もあったが、日本に帰国後、
精密検査で脳に腫瘍が見つかり、水分を含んでどんどん肥大していたという。
主治医に、1週間遅かったら危険でした、と言われたと言っていた。
手術は成功し、すっかり元気になって、その後何度か中国にも遊びに来た。
彼は、「医療はやっぱり日本です。設備も良いし、水準も高いし、
なにより言葉の問題もない!」と、力説して回っている。
呑気に体力の回復なんて待たなくて良かったね、と今となっては笑い話である。
私はそれ以後、具合が悪くなったら動ける内に帰国する、と心に決めたが、
別段、大病もしておらず、元気にしぶとく逞しく、未だ中国に居座っている。
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