9月12日(木) 新旧が交錯するまち―香格里拉

何の予定もないというのは気楽なもの、無理して早起きする必要もないので、
さてもうひと寝入り…、と思ったところがいきなり耳元で電話の音。
 「朝食の時間です!」
時計を見ればもう8時。ご親切にも服務台からの呼び出しに、とろとろ身支度
して本館の食堂へ。
すでに6時から始まっている中華風バイキングスタイルの朝食にはわずかな残り
物ばかり。お粥とヌードルとほんの一掴み程度のおかずながら、こうしてまと
もに朝食をとったのは雲南へ入ってからはじめてのことです。
コーヒーかお茶でも、とそれらしき金属製のポットから出てきたのは、なんと
"バター茶"!
やや塩味のこってりした液体は名前こそ"お茶"ですが、むしろ"スープ"という
表現がぴったり。最近は粉末の即席バター茶も売り出されているようですが、
これはホンモノの "手づくり"でした。というのも翌日出されたものとはバター
の濃度が微妙に変わっていたからです。

街中は人も車もひっきりなしに行き交ってけっこう賑やかです。
やや薄日が指す曇り空の下、そんな通りをのんびり歩きながら昨晩書いた絵
ハガキを出しに郵便局へ。
地球の歩き方』の地図ではちょうど迪慶賓館の向かいになっていますが、
それは電信局で、郵便局はそこからさらに400メートルほど北にありました。
建物が新しかったので移転したのかもしれません。ついでに言うと、北京へ
出したこのハガキが届いたのは二週間後のこと、帰国してから送ったEメール
のほうが早く届いてしまいました。

賑やかな街の中心部でタクシーを拾い、まず、中甸本来の姿を留める南の"古城"
地区へ行ってみることにしました。香格里拉に到着したばかりで右も左もわから
ないとき、中国国際旅行社を探して一度入り込んだところ、その中心にある小さ
な丘―"大亀山公園"がきょうの起点です。

このあたりにしては珍しく垢抜けた感じの女性運転手さんは三十代半ばくらいの
ナシ族の人、やはり快活でおしゃべりです。
 「"大亀山"なんて行ってもつまらないわよ、その下に博物館があるから、そこ
から"古城"を一巡してみたらいいんじゃない?」
とご親切にアドバイスいただき、さらに明日の予定を聞かれて、
 「徳欽(ドゥチン)まで行って梅里雪山をこの目で見てみたいんですけど、
このお天気じゃどうでしょうねぇ?」
 「この前、広東人を乗せて行ってきたわ、あの日は雨に降られてあきらめて
いたんだけど、翌朝、雨も上がって雲間からお山がぱぁーっと見えた時にはあの
人たち、もう大感激しちゃってね…、そうそう、見える見えないはその人の"運"
なのよ」
なるほど、たしかにそういうものかもしれません。
そんなおしゃべりをしているうちに車は見覚えのある小路を通って"大亀山"の
入り口に到着。
 「ここが"古城"の中心、あれが"博物館"、"大亀山"はこの石段を上がっていく
のよ」

いちおう丘なので上ることは覚悟していましたが、さすがに直線の石段は息切
れします。というのも香格里拉は海抜3,300メートルの高原のまち、平らな
ところは平気で歩けても、坂を上がるのはけっして楽ではありません。
最初の石段を上りきったところには粗末な廟、おじいさんたちが将棋など打ち
ながらたむろしている脇で参観券(3元)を買い、廟の裏手に回ってみると、
夏の名残の花々を透して古い家々の切妻屋根が連なってなかなかの眺めです。
その反対側にはさらに長い石段が丘の頂上へ。これを休み休み上りきってお寺
らしい門をくぐると、五色のタルチョ(経幟)で飾られた三層の楼閣"朝陽楼"
がありました。極彩色の外観と内装はチベット仏教のお堂らしく、内部には
金色の仏像が祀られ、若いお坊さんが一心に祈りを唱えながら五体投地に励ん
でいます。
裏へ回るといきなり犬に吠えつかれました。いかにも獰猛そうな真っ黒い大き
なヤツ、つながれている鎖を引きちぎっていまにも飛び掛ってきそうな勢いで
す。中にいたお坊さんが出てくるとようやく静かになりました。
聞けば彼は松賛林寺の僧侶だそうで、毎年一人づつ順番に堂守りとして―
しかも番犬付きで―ここへ遣わされるのだそうです。そういえばタルチョと
いっしょに洗濯物もぶら下がっていました。
ここで麗江からのバスでいっしょになった大学生アベックに再会。
街で存分にマツタケ料理を味わったと聞いて、これは見逃せない!とさっそく
情報チェック、南北に走るメインストリート沿い、ほぼ街の中心部にあって
、しかも日本語で大きく"マツタケ"と書かれているとのこと。
(6日目つづく 2003年掲載)

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