黄山旅行記

Kさんの2001年の投稿です。今回は前編です

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1996年の2月でした。
場所は黄山(フォンサン)という中国のなかでも景勝地として有名な場所です。
水墨画の世界を思い浮かべてもらえばわかるとおり、岩山と雲海と松が重なる
幻想的な風景が広がり、世界遺産にも登録されている観光地での出来事です。

私は杭州(こうしゅう)という、12〜13世紀に南宋の都があった所で、
現在は浙江省省都から黄山に向かいました。バスで揺られること8時間、黄山
ふもとに到着しました。
このバスもなかなか年季がはいっていて、イスにはもちろんクッションなどなく、
車体のボディー部分に一部穴が開いて、そこから風がヒューヒュー吹き込んでくる
状態でした。とても辛い状態で、寝たら凍死すること間違いなしです。

ところでこのバスのチケットを買うのも一苦労です。夜も明ける前の午前5時にバスの
発着所に赴き、窓口が開くのをウロウロしながら待つのです。
そんな時間にも拘わらず現地には地元の人が所狭しとひしめいています。
彼らを目当てにした屋台も出ていて、まるで終戦直後の日本の買い出しのようでした。
午前6時ごろに窓口が開くと、一斉に彼らはそこへ殺到します。
その日のチケットが買えなければもう一日待たなければならないので、我先にと押し
合います。私も負けてはいられません。「当天 黄山」とだけ書いた紙を差し出し
列に加わります。
ちなみに「当天」とは「今日」という意味です。これも現地で覚えました。
たとえ列に並んでも、うかうかしていると横から割り込んでくる人もいるので、
不審な動きをしている奴にはがっちりガードしなければなりません。

出発は午前7時ごろで、途中食事やトイレ休憩を挟んで午後3時ごろに到着したのですが、
そのトイレは案の定、仕切もドアもありませんでした。

バスの中で知り合った高校生の少年は、ほんの少し英語が出来るせいか、私と会話を
するようになり、到着後はすぐ近くにある自宅に呼んでくれました。
彼は29インチの大型テレビを誇らしげに見せてくれます。恐らく彼らにとっては大変
貴重な文明機器なのでしょう。
彼は部屋に案内してくれ、「ここに寝てくれ」と言います。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
このクソ寒い雨空のなか、暖房は七輪、洗顔は冷水の部屋に泊まれっていうのか?と、
清潔さにはこだわりがある私は硬直してしまいました。
さらに、彼は「今夜の夕食はどうする?」とメニューを出しました。
つまり、好意で泊めるわけではなく、自宅を民宿代わりに提供しようとしていたのです。
もちろん宿泊費もありました。
同じ金を払うのなら、私だってちゃんとしたホテルに泊まります。
なにも小屋のような所に凍えそうになって泊まる理由はありません。とはいうものの、
そのまま逃げ出す訳にもいかず、とりあえず荷物を置いてその家を離れました。

黄山ふもとのバス停に到着しても、山の登山口まではまだ少しあります。
そこまでは現地の白タクを使わなければなりません。その度に値段交渉です。
例のごとく紙に値段を書いて交渉し、登山口まで乗車しました。
登山口の近くは結構にぎやかで、ホテルも多くあります。そのなかから値段と質とを
比べて適当なことろが見つかったので、予約をしてまた「少年の家」に戻りました。
さて、どうやってそこから引き上げるか考えなくてはいけません。
私は「近くのホテルで友人を見つけた。彼は病気で困っており、私の助けが必要だ。
だからここを出なくてはならない」と口からデマカセを言い、荷物をまとめ始めまし
た。しかし少年も「金のある日本人」をみすみす手放すことはしません。
彼の兄、母親を動員してなんとか引き止めようとします。私は強行に理由を繰り返し、
少年と「記念撮影」をしてさっさとそこを離れました。
そのとき「写真は送るよ」と住所を書き取ったのですが、5年経ったいまだに送って
いません。
http://homepage3.nifty.com/kamakurakoka/