仁科鉱山

仁科鉱山。私は知りませんでした。この慰霊碑も訪れる人はほとんどいないでしょう。
戦争中、明ばん石採掘のために戦線鉱業が仁科村白川に設立、敗戦後閉鎖。いくつかのwebを総合すると、鉱山労働者は最盛期には約3000人、在住または強制連行による朝鮮人が2000人ほど、強制連行による中国人が200人弱、政治犯等の囚人が約100人働いていたとのことです。
仁科鉱山における中国人強制連行による死亡率は約半数、全国135カ所の強制連行の中で最も割合が高いものだったといいます。1953年には、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会が結成され、県の遺骨の調査収集、慰霊送還事業が始まったそうです。

碑文の内容
 太平洋戦争の末期、多数の中国人が強制的に連行されわが国の鉱山、土建、荷役等々労働に従事させられた。その一部、178名が当時仁科村(現西伊豆)にあった戦線工業に就労したが当時の極度に悪かった食料事情と強制労働のためこのうち82名が現地において死亡された。これらの遺体は1954年殉難者慰霊実行委員会により手厚く葬儀が行われた後遺骨は本国へ送還された。この度有志の発起人により母国の解放を見ずに他界された殉難者の霊を慰めるとともにこのような悲惨な犠牲をもたらした戦争への反省と子々孫々にいたるまでの日中友好の誓いを固めるためゆかりの深いこの地に中国人殉難者の慰霊碑を建立した次第である。
                    1976年7月4日  西伊豆町中国人殉難者慰霊碑建立実行委員会

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