8月11日(土)幻の上映禁止作品《武訓伝》などDVD上映のお知らせ(現代中国映画上映会)

今月の定期上映会は、8月11日(土)に、DVD上映会を行います。
上映作品は、毛沢東の批判により長らく上映禁止となっていた孫瑜監督による幻の
作品《武訓伝》、孫瑜作品の初期のサイレント作品《野ばら》の2作品です。

《武訓伝》は1951年に毛沢東によって激烈に批判され、新中国初の上映禁止作
となりました。その後も折りにつけ批判が繰り返され、1985年に再評価される
までその批判が続けられました。しかし、再評価後もわずか1回の特別上映を除い
て中国国内では一般公開はなされず、幻の映画となっていたものです。

上映会場は文京シビックセンターの3階にあるシビックホール会議室です。

この機会をお見逃しないようご覧下さい。

皆様のご来場をお待ち申し上げております。

現代中国映画上映会 gentyuei@parkcity.ne.jp
http://www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/

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★★★第482回現代中国映画上映会(DVD上映会)★★★
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●上映作品:劇映画《武訓伝》
       1950年/崑崙影業公司/白黒/スタンダード/DVD/210分(上下巻)
標準中国語(一部山東方言)/日本語字幕付き
       原題◎武訓傳
       監督◎孫瑜(スン・ユィ)
       脚本◎孫瑜(スン・ユィ)
       撮影◎韓仲良(ハン・ヂョンリャン)
       美術◎牛葆榮(ニウ・バオロン)、魏鉄錚(ウェイ・ティエヂェン)
       主演◎趙丹(ヂャオ・ダン)、黄宗英(ホァン・ゾンイン)
          孫棟光(スン・ドングァン)、鄭大畏(ヂェン・ダーウェイ)
          周伯�價(ヂョウ・ボーシュィン)、張翼(ヂャン・イー)
          蒋天流(ヂァン・ティェンリゥ)、王蓓(ワン・ベイ)
          張乾(ヂャン・チエン)、邱奐(チゥ・ホァン)
          呉茵(ウー・イン)、黄晨(ホァン・チェン)
          白荷(バイ・フー)、高正(ガオ・ヂェン)
          傅伯棠(フー・ボータン)、姜修(ヂァン・シゥ)
          姜修(ヂァン・シゥ)
      劇映画《野ばら》
       1932年 聯華影業公司 出品
       白黒/スタンダード/DVD/80分/無声/日本語字幕
       原題◎野玫瑰
       監督◎孫瑜(スン・ユィ)
       脚本◎孫瑜(スン・ユィ)
       撮影◎余省三(ユィ・シェンサン)
       主演◎王人美(ワン・レンメイ)、金焔(ヂン・イェン)
          叶娟娟(イェ・ヂュェンヂュェン)
          鄭君里(ヂェン・ヂュィンリー)、韓蘭根(ハン・ランゲン)
          章志直(ヂャン・ヂーヂー)、厳工上(イェン・ゴンシャン)
          洪警鈴(ホン・ヂンリン)、劉継群(リゥ・ヂーチュィン)
●上映日時:8月11日(土) (開場は各回開始の10分前)
       10:30 武訓伝 (途中休憩あり)
       15:00 野ばら
       17:00 武訓伝 (途中休憩あり)
●上映会場:シビックホール会議室
          (文京区役所がある文京シビックセンター3F)
       東京メトロ丸ノ内線南北線 後楽園駅 直結
       都営地下鉄三田線大江戸線 春日駅 直結
       地図: http://www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/civic.htm
●会 場 費:1200円(武訓伝)、700円(野ばら)
●入 会 金:600円(一般会員、同時入会可、有効期間1年)
      8100円(フリーパス会員、同時入会可、有効期間1年)

※非会員・期限切れの方はその場での入会手続きが必要となりますのでご理解下さ
 い(入会せずにご覧いただくことはできません)。
※今回に限りフリーパス会員の新規入会を会場で受け付けます。


《武訓伝》
 1949年12月5日は武訓が生まれて110周年の記念日であった。山東省堂邑縣(現在
の聊城市)に建てられた武訓の記念堂の前で女性教師が子供たちに武訓の物語を話
して聞かせていた。

 時は道光25年(1845年)。7歳の武訓は父を亡くし、母親の手で育てられていた。
極貧ながらも学校で勉強しようと苦労して貯めた金を持って私塾の門を叩いた武訓。
しかし、貧乏で身なりの汚い彼は笑いものにされ、相手にされなかった。ほどなく
して母も亡くなり、彼は親切な伯母さんに引き取られた。
 17歳になった武訓は地主の張に雇われた。そこには騙されて連れてこられた小桃
という少女も働かされていた。貧乏で字も読めず騙されたのだ。3年が経ち、武訓
は病気の養母のために溜まっていた3年分の賃金をもらおうと掛け合うが、帳簿は
改竄され既に支払われたことになっていた。無一文でたたき出された武訓は車夫の
周大に救われた。
 “字が読めない貧乏人は永遠に騙されているばかりだ”。そう感じた武訓は貧乏
人の子供のために無料で学べる学校を作ることを決心した。
 地主の思いのままにされる自分を武訓が救ってくれることを願っていた小桃は絶
望のうちに自殺した。それを知った武訓は恨みを秘め、無理矢理笑い、汚い格好を
しながら人々に芸を披露して哀れみを乞う生活を始めた。すべては貧乏人の子供た
ちのために授業料の要らない学校、つまり義学を作るためだった。
 囚われの身となっていた周大は牢獄から逃げ出し、武訓に一緒に戦うよう誘った。
しかし武訓はそれを断り、自分は義学のために活動すると言った。
 10年が過ぎ、武訓は艱難辛苦の末に120吊の金をため込んだが、それを盗まれて
しまった。10年の苦労が一瞬のうちに泡と消えてしまった。しかし武訓は不倒翁を
思い出し、子供たちのためにもう一度頑張ろうと決心した。
 さらに20年が経過した。武訓は金を貯め、楊進士に頼み込みついに義学を作るこ
とができた。光緒14年(1888年)、念願の崇賢義塾が開校した。50歳になった武訓は
子供たちが元気そうに本を読む声を感慨深そうに聞いていた。
 その功績を認められた武訓は朝廷から“義学正”の称号を授けられた。武訓は光
緒22年(1896年)に58歳でこの世を去った。

 武訓の物語を話して聞かせた女性教師に子供たちが質問した。“そのあと学校は
どうなったの?” 時は清朝末期であり、武訓の義学は混乱の中で貧乏人の手を離
れ地主や反動勢力に簒奪されてしまった。しかし、武訓の崇高な精神は無駄にはな
らなかった…。

 3時間半にもなる大作《武訓伝》の完成を聞いた周恩来は上海からフィルムを取
り寄せた。本作は国務院などで内部上映され国家指導者たちが鑑賞した。結果は概
ね好評で、朱徳はわざわざ孫瑜の手を取って賞賛したほどであった。これを受け、
《武訓伝》は1951年の初めに北京、天津、上海などで公開された。しかし、1951年
2月、本作を見た毛沢東は“ブルジョワ改良主義映画”だとして批判文を発表した。
支配階級との戦いを拒み、権力者や金持ちたちに媚びを売り、哀れみを乞うて得た
金で学校を建てた武訓を持ち上げるなどもってのほかというわけである。これを機
に激烈な“武訓伝批判”が巻き起こり、新聞などにこぞって批判文が掲載されるよ
うになった。監督の孫瑜や出演者たちは自己批判を迫られることになり、《武訓伝》
は新中国誕生後初の上映禁止映画となった。その批判は文革後まで継続され、1985
年になってようやく一応の再評価を得ることができたが、一般に再公開されること
はなかった。大批判が巻き起こって以後、中国国内で一般公開されたのは2005年の
趙丹生誕90周年を記念した回顧上映の1回のみで、今に至るも幻の映画となってい
る。今春、《武訓伝》のDVDが研究用名目で発売され、ようやく一般の目にも触れ
ることができるようになった。


《野ばら》
 画家の江波は江南のある漁村で活発で美しい娘・小鳳に出会い彼女をモデルに絵
を描いた。小鳳は村人から愛され“野ばら”と呼ばれていた。きれいな花にはトゲ
があるからだ。彼女の父親は借金が返せず亡くなってしまった。江波は、暮らして
いけなくなった小鳳を都会に連れて帰ったが父親からは許してもらえず、仕方なく
家を出て自ら厳しい環境で生活することになった。ある日、小鳳の身代わりに江波
は誤認逮捕されてしまった。逃げ出した小鳳は名前を変え、紡績工場で働くことに
なった。程なくして日本の侵略が始まり、釈放された江波は友人たちと救国義勇軍
に加盟し、前線に赴くのだった。

 中国農民の厳しい生活や日本の東北侵略を伏線として描かれた孫瑜の初期作であ
る。本作が縁で知り合った金焔と王人美は1934年に結婚することになる(1944年に
離婚)。


※各作品のスチール写真などは次をご覧下さい。
http://www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/future.htm

http://homepage3.nifty.com/kamakurakoka/