安陽西高穴「曹操の墓」の真偽は論争再起 陪葬墓と推測され

中国有名な考古学者の徐光冀氏は「曹操の墓はまだ定論できない」の文章を発表しました。これで、曹操墓についての議論は再びホットになります。

■根拠1:魯潜碑文について

1発掘報告は魯潜碑文を根拠として西高穴2号墓が曹操墓と認定します。「魯潜碑文は魯潜墓の位置、魯潜墓と曹操高陵との距離を記載しましたが、墓に埋める碑文はどうしてこれらの内容を記載しますか。それは魯潜碑文と魯潜墓は一緒ではないため、記載する必要があるからです。碑文により魯潜墓の位置が分からないため、これによって曹操墓を推定するのは迂論です。」と徐光冀氏が語りました。

■根拠2:「魏武王常所用格虎大戟」

発掘報告は西高穴2号墓から出土した「魏武王常所用格虎大戟」の石刻が墓の主人を判断する直接な根拠と認定しました。これに対して、徐光冀氏は下記のように推定しました。「曹操は建安二十五年正月に武王の諡号と封じられました。石刻はただ刻まれる時間を説明し、西高穴2号墓が曹操墓と断定することができません。また、石刻は副葬品として、名称、数を刻んでいいです。墓の主の名前を刻む必要がないです。曹丕も父の諡号が刻まれる石刻を曹操の墓に置く可能性もほとんどないです。これで西高穴2号墓は曹操の墓ではないと推定できます」

それに、徐光冀氏も「もう一つの可能性があります。それは曹操は生前物品(兵器など)を息子、臣に賜りました。賜られた人を埋葬したとき、これらの物を墓に埋めました。また特に標示して誇りを示します。曹操は陵墓を中心として広い園林を建設し、諸侯、大臣が陪葬すると命じましたので、西高穴2号墓は曹操墓の陪葬墓の可能性も高いです。」と推定しました。

情報提供 Ara china
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