2003 年上海・北京極寒旅行

Aさんからの投稿。最終回です

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さて列車(T136次、上海ー北京、軟臥)に乗って、
明け方(6:30)トイレに起きた時、窓の外をふと見ると窓ガラス
がひどく曇っていて、外の景色がみえませんでした。
もっとも寝ぼけていたからある恐ろしき現実に気付きもせずに
「きょうは随分外が真っ白だなー」なんて呑気に独り言を言いつつ
トイレから戻り、曇り窓から指で曇りを取りました。
変だなと思いもう一度外を外を覗くと、外は一面銀世界。
つまり昨晩のうちに積雪があったんだと一気に眠気が吹っ飛びま
した。
実は自分、凍った所で転倒、骨折をした嫌な思い出があるので、
日陰の北京駅を想像してしまい、駅前が凍っていたらどうしよう?
とかなりあせっていました。ただ幸い天津付近を過ぎると、雪の
景色がほとんど無くなりつつあったので、助かりました。

列車は定刻通り北京駅に到着し、隣には長春(2003年8月に
開通した秦沈旅客線経由)から来たT60次が停まっており、この
列車には高包が付いていました。

地下道を抜け北京駅を出、地下鉄の改札口前で、待っていた北京の
友達と会いました。今朝の北京の気温は−2℃。友達は日本語塾の
講師を務めており、生徒さんとも3人お会いしました。
皆自分の無謀すぎる薄着に驚いていました。

近くのレストランで朝食を取った後、皆で中国歴史博物館に行き、
古代エジプト展をお昼近くまで鑑賞しました。
その後、西単に行き(空港に行く)時間まだあるからとお昼を
ごちそうになりました。ところが西単民航バスに行くと
「あと30分以上は待つ」と言われ時計を見ると1時10分。
14:50のフライトぎりぎりです。
仕方なく、ここで皆と別れてタクシーで北京空港へ。

市内はいたるところで渋滞しており、空港に着いたのが14:10。
もちろんあせってもどうにもならないので北京の車を観察して
いました。上海ではドイツ車が多かったけれども、北京では現代車
ヒュンダイ、韓国)が日本よりも多く走っていました。
パトカーも現代車がありました。「この現代車が量産の暁には
日本車など・・・」と現代車の売り込み姿勢がうかがえます。

最後のトラブル。無事飛行機に乗り込み、フライト中、突然携帯の
バッテリー部分が焦げる臭いと共に、触れないくらい熱くなって
おり(原因不明)、思わず床に転がしてしまいました。
「これで床が燃えたら絶対明日の新聞載るな」と覚悟していまし
たが、幸い何事もおきず無事日本に到着しましたが、悲しいことに
携帯は復活しましたが、相手の連絡先以外のデーター(着メロ、
写メール画像等)は全部リセットされていました。
波乱の旅行はこれで終わりですが、結構3日のわりには充実して
いました。
2都市めぐりと長距離列車の利用、うまいもの食べ歩きと。
次回は中国で携帯電話購入にチャレンジしたいと思います。では。
                         (おわり)
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