「剣門蜀道」編

(剣閣郊外・北廟)
 剣閣観光のメインは、なんといっても剣門関である。
が、剣閣についたのが午後だったので、その日の剣門関見学はあきらめた。
もっとも荷物が小さい人は、剣門関で途中下車し見学後、剣閣へ移動すればよい
(こっちの方が100倍上手な旅行であるが、私たちは、おそろしく荷物が多い…)。
 ということで、午後は暇つぶしに近郊の村へ繰り出した。
超マイナー級だが、彰順王廟・?艾墓という三国志がらみの史跡があるらしいので、
それを見学するためである。物の本によると「北廟」という所にあるらしい。
彰順王廟の俗称が北廟なのだろうと勝手なことを考えながら、
近郊バス乗り場でたずねておんぼろバスに乗り込んだ。
案の定、商店が数軒あるだけの田舎らしい道筋でバスを降ろされ、
雑貨屋のおばさんに聞いたところ、道路脇の丘の上を指差した。
丘を登ると小学校があり、その敷地内に廃屋となった廟らしい建物があった。
文革時代に壊されてそのままらしい。
近年、中国では観光ブームで廃滅した廟などが修復され観光地として蘇ることが多い
が、この片田舎でしかもマイナーな人物、蘇るのが早いか、崩れ去るのが早いか…。
小学校の教師に案内され、学校の裏にある?艾墓も見学する。
一年ほど前に中国語の話せない日本人留学生(?)が来たらしい。
おそらく三国志マニアであろうが、(自分たちのことは棚に上げて)よくよく
物好きだなあ、と思ってしまった。廟・墓の見学はけっしてお勧めではないが、
田舎の小学校の見学と考えればなかなか楽しい経験だった。
帰りのバスをぼぉーと待つのも詰まらないので、町の方へぶらぶら歩きだした。
途中、道路から農村・農家が見下ろせた。土壁を白く塗り黒い瓦葺きのたたずまい、
家の脇の穀類を干すための広い敷地、トウモロコシを干した軒先…。
この辺りの典型的な農家だ。
メジャー観光地を廻っていたのでは見られないものを見られるのもまた、
マイナー観光地の旅ならではだ。
バスが走る音がした。手を振って止め乗り込んだら、
行きに乗ったのと同じバスだった。
車掌さんとは、なぜか数十年来の知り合いのように、再会を喜び合った。

(つづく)
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