マイナス20度

とうとうハルピン駅に到着。

今回は春節、旅行繁忙期ということと、未知の寒さの中宿探しで街を
さまようのも不安なので、ホテルは予約しておいた。
だから、タクシーでホテルに直行すればよさそうなものだが、ちょっ
とした好奇心からそのまま荷物を持って歩き出した。
予約したホテルが駅からそう遠くなかったせいもあるが、単純に外を
歩いて「極寒」を実感してみたかったからだ。

歩き始めてたった数分で、期待していた「刺激的な極寒体験」をする
ことになった。
鼻がムズムズ、チクチクするのだ。経験したことのない妙な感触。
どうやら鼻毛が凍っているらしい。
息を吸う時、氷点下の空気が鼻に入り鼻毛が凍る、息を吐くときそれ
が溶ける、息をするたびにそんなことが起こっているようだ。
なんとも形容し難いが、その感覚があまりに新鮮で、何度も鼻で深呼
吸をしてハルピンの厳寒を味わってみた。

我々がこの初体験に大興奮しているその横を、ハルピンの人々はいた
って冷静に通り過ぎていく。数日前に雪が降ったらしく、そこいらじ
ゅうアイスバーンになっていて、少しでも気を抜くと転びそうになる。
にもかかわらず、道路を掃除する人、朝食を売る人買う人、急ぎ足で
出勤する人、当たり前のように自転車に乗る人…朝の様子は、中国の
他の街となんら変わらない。
当然のことだが、人々の生活はこの寒さとは無関係に淡々と進行して
いるようだ。もちろん、鼻毛が凍るという感動的なこの事実には、
何の興味もなさそうだ。

駅からホテルまではたった十数分の距離だが、その間に寒さに対する
不安は、「寒いっていうのは思いのほか楽しい」という第一印象に変
わった。

荷物を背負って歩いていたのであまり寒く感じなかったからかもしれ
ないが、それ以上に、極度の寒さがなぜか我々をハイテンションにし
てしまったからだと思う。

ハルピンと聞くと反射的に極寒の地を思い浮かべるが、実際、どのく
らい寒いかというと…
1年の3分の2は霜が降り、初霜は9月12日〜14日の間に観測
される。意外にも年間を通して30℃を越す日が20日以上あるのだ
が、それにもかかわらず、年平均気温が3〜6℃位だそうだ。

つまり、基本的に冷蔵庫の中より寒いということになる。降水量はあ
まり多くない。
厳冬期については、1月の平均気温が−19℃で、日中の最高気温は
−12〜13℃、夜間の最低気温は−25℃を下回る。
日中でも−20℃より上らない日もあるようだ。

ハルピンの人は、朝起きてまず窓ガラスの凍り具合を見るらしい。
なんでも、厚く氷が張っている時はより着込んで、あまり凍っていな
い時は控えめに着込んで出掛けるとか。
我々の常識では、日中の最高気温をもとにその日の服装を決めるが、
ここの人は最低気温をもとに決めるらしい。とはいっても、ハルピン
の冬は乾燥していて風が無いので、纏わりつくような寒さや風による
体感温度の低下がなく、実際には、日中はむしろ日差しが強いので、
ある程度着込んで日向にいれば十分暖かく感じられた。

ホテルについて荷解きをした後、先ほどのハイテンションのまま、
すぐさま街に出てみることにした。

と、その前に、少しだけハルピンの概略を…
ハルピンは中国第7の大都市だそうだ。
とはいえ、他の中国の大都市がどれも悠久の歴史を持っているのに対
して、たった100年の歴史しか持たない(と、物の本に書いてあっ
た!?)。それまで漁村に過ぎなかったハルピン市の歴史は、帝政ロ
シアによる中東鉄路(日本でいう東清鉄道)建設と同時に始まったと
いえる。
現在の満州里―ハルピン―綏芬河の路線とハルピンから南、つまり
大連へ伸びる路線の交点に作られた中継都市がハルピンなのである。

というわけで、街中いたるところに今もロシア風の建物が残っている。
中国の他のどの街ともひと味違った独特の雰囲気を持っており、
「東方のモスクワ」とか「東方のパリ」とも呼ばれる。
もっとも栄えた時期には16の国が領事館を置き、20万近くの華僑
が一攫千金を目論んでこの地に集まったそうだ。
その後、九・一八事変後の日本による占領、ソ連紅軍による解放を経
て現在に至っている、云々。

「たった100年」というのは、不適切かもしれない…私的には、
100年もの歴史が凝縮された街だというほうが正しいと思うのだが!

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