ラサ市内と郊外観光(8/16)


ここではヤクの皮でつくったボートに乗る事ができる。
ヤク5頭分を使用して作られたこの船は、以外に大きく、定員12名。
船のへりに、左右バランスよく腰掛ける。

「わ〜い!」
とみな一斉に乗り込むが、謎の新聞記者、ひとり首を横に振り、
岸に残る。
り「恐いのかな?」
そ「泳げないんかね?」

船頭さんが元気よく船を漕ぎ出す。
空と雲と山々、そしてこのターコイズブルーの湖だけの景色。
聞こえるのはボートの船腹を打つ波の音だけ。
ときおり、雨期特有の遠雷がその静寂をやぶる。

「・・・・・。」

全員が無口になる。なんだか、何をどう言っても、この景色の前で
は言葉が意味のない事になりそうで、みんながそれぞれ、自分の中
で ひたすら感動に浸る。

すると前歯の一本欠けた船頭のおじちゃん、いい声で歌を歌いだす。
みんなが「おお〜っ!」と言うと、「えへへ。」と笑って止めて
しまった。
歌と踊りをこよなく愛す藏族&そーねいと私。
早速ふたりしておじちゃんをけしかける。

そ「えい! NI唱[口巴]!」
り「叔叔、唱歌[口巴]!」

他の人達は何がおきたのか、キョロキョロしている。
おじちゃんは嬉しそうにまた歌い出す。
すると誰からともなく始まる手拍子。しかし何故か音頭調の、
手もみが入る日本のリズムになってしまう。

なんとか普通話が通じるおじちゃんに、色々質問をしながら、船は
湖の真ん中辺りまで漕ぎだされ、しばし波間に漂う。

この湖は、山々の谷間に水が溜まったかのように出来ており、
総面積は琵琶湖とほぼ同じ。上から見ると、蠍の形をしている。

雷と共に山の向こうから暗雲がたちこめ、
ポツポツと雨が降り出した。
「えい! 回去[口巴]!」
偉さんに言われ、おじちゃんはまた力いっぱい漕ぎ出す。

岸に戻ると、謎の新聞記者、小さなメモ帳片手にしゃがみこんで
いる。
どうやらスケッチをしているようだ。
り「??? そーねい、あの人、絵描いてたみたいよ。」
そ「ほんとや。何物なん?」

船から降り、チベットの一般家庭を訪問ということで、船を漕いで
くれたおじちゃんの家に案内される。
門の入り口では、おばあちゃんが牛の乳絞りの真っ最中。
「タ、タシデレ」と挨拶しながらおばあちゃんと牛の脇、スレスレ
を通り抜けて中へと入る。

二階建て、一階部分は農具などが置かれ、二階も住居の部分と、
機織り機や鍋釜、洗濯道具など置いてある作業場とに分かれている。
中に入り、自家製バター茶をご馳走になる。
つつましいけど、チベットらしい部屋でなかなか広い。
家族構成やら年齢やらを聞き、みんなで写真を撮っておいとまと
なる。

外では子供達が、興味深げに、あわよくばおこづかいでも貰おうと
群がってくる。
身なりこそ汚いが、キラキラと輝く大きな瞳に心を奪われて、つい
何も考えずに、持っていた飴をひとふくろ、開けてしまった。
すると純真そうに見えたキラキラというその瞳が、一変、ギラギラ
という貪欲な視線へと変わり、大勢の子供達が飴を奪い取ろうと私
に群がってきた。

候「あぶないっ!!」
候さんが慌てて私の手から飴袋を取り上げるや、
子供達の手の届かない高さへ掲げ、
「えい! 排隊、排隊!!」
と叫ぶ。すると子供達、我先にと並び、しかも横入りされぬようにと
前の子の背中にピッタリとはりつく。

「一個づつよ! 貰ったら行きなさいっ!」
候さんが必死になって怒鳴るが、子供達はもう一度並んだり、ひどい
のは自分より小さい子を押し退けて横入りしてくる。

予想外の展開にどうしていいか分からず、ボーゼンとする私。
候さんの手にもおえなくなってきて、偉さんが飴袋を取り上げ、更に
高くへと掲げて一言。
「没了〜!」

でも実際にまだ残っている事を知っている子供達。偉さんの回りを
離れない。
その隙に私へ飴を返し、私も慌ててリュックにしまいこむ。

り「ごめんなさい。こんな事になるなんて・・・。」
候「田舎の人、貧しいです。カバン、捕られるかもしれない。
危ないです。」

それまで、漢民族少数民族を馬鹿にするのがイヤでたまらなかった。
何かというと「貧しい」「無知」「礼節をわきまえない」と見下し、
優越感に浸っている漢民族がキライだった。
でも、今回の事で、そういわれても仕方がない現実を知った。

本当に何も知らない人々は、こういう欲や争いも知らないのだろう。
でも、ある程度の情報と文化と意識が入ってきてしまう今、いかに
それが海抜4,300mの山奥の村に住む、一見素朴そうな子供達であっ
ても、生存競争という戦いに必死になっていく。
それとも、過酷な環境で育ったが為、生き抜く為に必要な知恵なの
か?

私達が羞恥に思う事も、彼らには生き抜く為の術ならば、それを理解
してあげなくてはならないが、でも、なんだかんだ言って一応「文明
国」で生まれ育ってしまった私には衝撃の出来事であった。

帰り際、まだ後をついてくる子供達に、
「ごめんね。もうないの。」と言いながら追い払っていると、一人
の、10才位の男の子が私の前に立ちはだかった。
「ごめんね。ないのよ・・・。」
言い終わらないうちに、
「我 不要! 我 不要 了!」
真っ直ぐに私の目を見つめて、低い声で言い放った。

ショックだった。
恥ずかしさと情けなさで、いたたまれなかった。
バカにすんな、そんな飴なんか珍しくもなんともない、と言われて
いるようだった。
私も漢民族と同じ。「日本製の飴よ。きれいでしょ? 
珍しいでしょ?」という優越感があったのかもしれない。
そんな心の裏を読み取られたような気がした。
逃げるようにバスに乗り込み、私達はこの村をあとにしたのであった。

                     (つづく)
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