漢覇二王城 前編

鄭州のお決まりの観光名所は、他に「黄河遊覧区」「二七塔」などであ
るが、すべて旅行ガイドブックにお任せして、次に、「漢覇二王城古戦場
風景区」を紹介しようと思う。

 さて、鄭州に着くとすぐ、天気もよかったので、いきなり「黄河遊覧区
」に出かけた(ここへは火車駅の北側300メートルほどの所にある「市二
院」の前から16路のミニバスで一時間ほど)。
遊覧区内を一時間近く歩いて、ようやくいちばん奥の大禹像のある丘にた
どり着き、気持ちよく黄河を眺めていたら、どうやらまだその先、西の方
に出入り口らしきものがあるのを発見した。観光客用にジープやら客引き
のオヤジやらがいて、明らかに、何か面白いものがありそうな気配だ。
既に歩き疲れていたにもかかわらず、そう思うと行動は早い。
すっ飛んで行って聞いてみると、「楚河漢界」だという。
そう、つまり、中国将棋盤の中央に書いてある、あの「楚河漢界」だ。

 我々が出発前に調べた資料の中に、鄭州市ケイ陽という所に「漢覇二王
城」がある、という記載があった。ぜひ行ってみようと思っていたが、こ
の先にある「楚河漢界」と「漢覇二王城」、何やら関係がありそうな・・・、
そんな予感に胸を膨らませて、兎にも角にも、黄河遊覧区の西門を出た。

 西門を出たとたん、コンクリート舗装の急な上り坂である。坂の上の
幹線道路まで数十メートルだが、結構きつい。
なるほど、ジープが止まっていたのは、ここを登るためである。
そして、その先の観光地へも普通はジープに乗って行くのだが、この値段
が安くない。交渉してみたものの値段が折り合わず、とりあえず、歩いて
登った。
流れで、その先もしばらく歩いて進んで行くと「三皇山桃花峪旅游区」と
いう場所に出た。どうやら、ここを通らないと(つまりここの入場券を買
わないと)「漢覇二王城」へは行けなくなっているようだ。

先を急いでいたので、あまりちゃんと見なかったが、ここ自体は、黄河
中流下流を分ける標識がある程度で(それでも何となく感激ものだが)、
取り立てて興味を引くものはなかった。
次に発見したのは、この先「漢覇二王城」までその距離7キロという看板。
とうてい歩いては行けそうにない。するとそこへ、雑貨屋のおばちゃんが
輪タク乗るかい?」と聞いてきたので、即OKした。
果たして、彼女のダンナが運転する自家用の三輪バイクの後部座席に、
窮屈に2人座る事に・・・。
それでもジープに比べたら3分の1以下の値段である。乗り心地は決してよ
くないが、風に吹かれてゆっくり行くのも、悪くはない。

 「漢覇二王城」の、現在の正式名称は「漢覇二王城古戦場風景区」であ
る。輪タクに揺られること十数分で風景区に到着。
立派な入り口の門があって、チケットを買ったらそこで降りるのかと思い
きや、輪タクはどんどん中に入っていく。村の外れに門があるだけで、そ
こは観光地というよりは、ごく普通の村なのだ。途中いくつかの集落を抜
けて、やっと目的地に着いた。
到着してみると、なるほど全てが飲み込めてきた。
我々が今いる所は、「鴻溝」の東側なのだ。つまり覇王城である。
途中の村落の名も確か「覇王城村」だったような気がする。既にお気付き
の歴史ファンもいるかもしれない・・・観光地としては、あまり知られて
いないが、ここ「鴻溝」は、歴史的には超メジャーなのだ。
黄河に流れ込む細い水の流れが黄土大地を深く掘り込んだこの谷を挟んで、
かつて項羽と劉邦が対峙したのである。
彼らの率いる楚・漢両軍が、長きに渡りここで睨み合ったので、当然、谷
の両側には、まるで城のように砦が築かれていき、東の楚側を「覇王城」、
西の漢側を「漢王城」と呼ぶようになった。その砦が現在も残っていて、
「漢覇二王城古戦場風景区」として開放されている訳だ。
つまり、我々が予定外にたどり着いた"ここ"なのである。


                        (つづく)
中国ビザ 航空券 港華