中国武術

中国武術は大きく分けて内家拳術と外家拳術の二種類分類されます。内家拳というのは「太極拳」、「八卦掌」、「形意拳」であり、外家拳というのは「長拳」、「少林拳」など。外家拳は多岐に渡る種類があるのに対し、内家拳は三つしかありません。 内家拳外家拳の違いはたいへん難しいのですが、初心者に対して簡単に説明するなら、内家拳は以柔刻鋼(柔から鋼まで)、外家拳は柔中帯鋼(鋼から柔まで)といったところでしょうか。

中国の諺に「太極拳は十年修行しても、外に出ることができない」というものがあります。この言葉の意味は、太極拳をたかだか十年修行したぐらいでは、まだまだ未熟者だ―ということです。逆に外家拳は習得しやすいと言われており、現に外家拳の使い手には若い人たちが少なくありません。外家拳は動作が速いうえに実戦的で迫力のある拳法なので、人目を引きやすいのです。

中国の著名な武術家たちは、若い頃にたいてい外家拳を修行した経験があるようです。見た目にも華やかなその動きは、若者にはとても魅力的に映ることでしょう。しかし年齢を重ねて武術への理解が深まるにつれ、太極拳を始める人が多いのもまた事実です。 このように言えば、太極拳を習得するのが簡単ではないことが分かっていただけたでしょうか。

太極拳は、中国の伝統文化の一つです。太極拳は早期に「長拳」、「棉拳」、「十三勢」、「軟手」などと呼ばれていました。太極拳という呼び方が定着したのは、明末清初からです。 太極というのは、中国で昔書かれた「周意」という本の中で記載されています。太極とはすなわち「陰陽」、「快慢」、「鋼軟」など、相反する事象をひとつにまとめあげた考え方です。
太極拳の起源と創始者に関しては諸説あり、詳しいことは分かっていません。代表的な説には、?唐朝の許宣平が創始者、?宋朝の張三峰が創始者、?清朝の陳王廷と王宗岳が創始者―といったものがありますが、現在中国では、?の陳王廷が創始者という説が有力です。

陳王廷は別名、又秦廷とも言います。王廷では1601年に、河南省温県陳家溝にある陳家の九代目として生まれました。明末清初の人であり、明の官僚でした。 王廷は官僚を退いたあと、出身地の陳家溝に帰って、郷里の子弟に武術を教えはじめました。王廷が優れていたのは、「導引法」という道家の伝える健身法、そして「経絡学説」を中心とする医学を、拳法と結びつけたことです。

明・清のころには、軍隊の基礎的な訓練を、地方の郷村で行なっていた時代背景があります。そのため、それぞれの郷村ごとに、特有の武術が発達しました。有名なところでは八極拳形意拳八卦掌なども郷村の軍隊訓練から生まれたものです。

陳家溝は太極拳がもっとも盛んな場所のひとつで、「四傑」と呼ばれる陳小旺、陳正雷、王西安、朱天才をはじめとした、多くの達人を輩出しています。王廷は「太極一人」と呼ばれて称えられ、彼の生み出した太極拳は、多くの人々に愛され続けています。

太極拳の成立は、他にも多くの武術家・研究者の存在を抜きにして語ることはできません。特に、戚継光は陳王廷に大きな影響を与えました。継光は明朝時代の著名な研究者で、彼は「十三勢長拳」や古代の導引や気功と、中医経絡学説に基づいて、太極拳の元になる理論を創りました。陳王廷は戚継光よりも半世紀年下ですが、戚継光の研究は太極拳の思想に思想に色濃く残っています。このほかにも、古代の陰陽五行学説、道教、太極八卦などが、太極拳の基礎理論は取り入れられています。

太極拳は中国伝統文化と伝統哲学思想の結晶なのです。例えば、太極拳は最初から最後までずっと運動し続けています。動作を続けることは太極拳の大前提ですが、これは、動作を停止させることで力の流れや精神の統一を中断させないためのものです。春の蚕がとめどなく糸を吐き続けるように、雄大な長江の流れが決して止まらないように、太極拳もまた止まることはないのです。このように太極拳は、森羅万象を拳法の中に再現しています。それは、「対立」と「統一」を含んだ矛盾運動であるとも言えます。

太極拳は運動中には心を静かにして統一させ、動作と呼吸を合わせるようにゆっくり呼吸します。体には無理な力を入れずに自然にし、動作が止まらないように動きます。腰が軸になるようにして、上体と脚が連動するように動作します。
中国では現在、主な太極拳は五種類あります。最初は陳式のみが太極拳でしたが、陳王廷の多くの弟子たちが、改良し、派生させていったのです。今日では陳式、楊式、呉式、孫式、武式太極拳が流行っています。

陳式太極拳

陳王廷(1601〜1680)の流れを汲む、もっとも歴史の古い太極拳。陳発科(1887〜1957)は、陳王廷の陳式太極拳の伝承者である。陳家溝では、陳王廷の教えが脈々と継承されていった。(1849〜1929)のように、晩年に「陳氏太極拳図説」を著した者もいる。陳発科は1928年に北京に出て、陳式太極拳を初めて大会の人々に教授した。 この門下生は、現在に太極拳を伝えている。 現在、中国における著名な使い手は馮志強(北京)、陳正雷(河南陳家溝)、田秋信(北京)など。

楊式太極拳

楊露禅楊露禅の号で知られる、楊福魁(1799〜1872)が開祖。露禅は太極拳普及の第一の功労者と言われている。 露禅は河北省永年県城南関の貧農に生まれた。しかし、若い頃に永年市で陳家溝の陳徳湖(陳式太極拳の使い手)が経営する薬材店で働く。そして陳徳湖の家で労働しながら河南省の陳家溝におもむき、陳長興に師事して太極拳を学んだ。

露禅が陳家溝にいたのは10年足らずだったが、熱心に練習し、大変優れた技術を身につけて永年に帰郷した。 露禅は永年市で太極拳を教え始めたが、当地にいた清朝貴族の武家の人々にも太極拳を教え、武家の信頼を得た。

その後、武家の当主が北京に移動することになり、露禅も同行。1852年に北京に出て、太極拳を教えることになった。 当時中国南部では太平天国の乱が起こっており、また列強の中国侵略も露骨になってきた時代背景だった。巷の人々の間に武術への関心が高まり、武術家同士の闘争もしばしば起きたらしい。しかし、露禅は試合にも大変強く、高い名声を得た。露禅は、次男の班侯(1837〜1892)や、健侯(1839〜1917)などに、その技を伝えた。現在、中国における著名な使い手は、李徳印など。

呉式太極拳

呉鑑泉(1870〜1942)が創始者。鑑泉は、楊露禅および楊班侯の弟子であった清朝貴族・全佑(1834〜1902)の養子にあたる。鑑泉は1928年以降、南京や上海で太極拳を教えていたため、呉式太極拳は中国の南部沿に広く伝わっている。現在、中国における著名な使い手は、李秉慈など。




孫式太極拳
孫禄堂(1861〜1932)が創始者。禄堂は形意拳八卦掌を学んだ後、1912年に為眞から武式太極拳を学び、形意拳八卦掌太極拳を総合して、新しい太極拳を作りあげた。禄堂は仏教徒であり、彼には多くの武勇伝が残っている。現在、中国における著名な使い手は、孫禄堂の長女にあたる孫剣雲など。






武式太極拳
武河清(1812〜1880)は清朝貴族であり、武式太極拳創始者である。楊露禅の後援者であった武家の兄弟の次男で、楊露禅の弟子になった。河清は太極拳の研究に熱心で、太極拳文献の発掘・整理に努めたという。1852年頃には陳家溝にある趙堡鎮という村の陳清萍から武術を学び、統合して武式太極拳を創り出した。武式太極拳は、甥である李経綸(1832〜1892)などによって継承されていくことになる。
情報提供 Ara china
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