漢覇二王城 後編

「これが砦の跡だよ」と紹介されたその場所には、土饅頭のような低い
丘と、その前に「覇王城」と書かれた石碑、それに項羽陣営の将軍たちの
像があった。
もちろん、砦跡といっても、ここに石碑がなければ誰にも相手にされなさ
そうな代物だ。そこを裏に回りこむと、目前には相対する漢王城側が見渡
せて、まさに「鴻溝」を足下に一望できる。しばらく、覇王城に立って、
この黄土大地を2つに裂く地形を眺めながら、2人の英雄の壮絶な争いに思
いをはせてみる。当時、黄河はもっと北を流れていたそうだが、今は我々
のすぐ右手を、ゆったりと流れている。

 と、そこへ土産物売りのおばさんが声をかけてきた。「これ買わないか
い?」差し出された掌の中を見ると、何やら先の尖った棒状の物を6つ持っ
ている。この辺りから出土したヤジリだという。
「偽者でしょ?」と言うと、「本物だよ。ほら、壊れないでしょ!」と、
コンクリートの地面にヤジリを投げつけた。壊れない事を理由に本物と言
われても・・・。
「当時のものだという保証はないでしょ?」と言うと、今度は「こっちは
漢軍の、こっちは楚軍の、セットでどう?」と言ってくる。なるほど、長
さが違う。もちろん信用できるわけもなく、丁重にお断りした。
 すると、相手も必死に食い下がる。「この本のここに載っているよ・・・」
と、何やらこのあたりの歴史について書いてある小冊子をカバンの中から
取り出してきた。なかなかしたたかなおばさんである。結局、おばさんの
マジックにかかったかのように、その薄い小冊子を買ってしまった。
宿に帰ってからその小冊子を繰ると「遺跡の範囲内からは、絶えず陶器・
銅ヤジリ・鉄ヤジリとその他の武器が発見される」と書いてある。
やはりヤジリを買っておくべきだったか・・・。

 はて、この場所でヤジリといえば・・・。項羽の放った矢が劉邦の肩を射
抜いた話を思い出す。「鴻溝」は、今は長さ4キロ足らず、幅300メートル
前後の谷であるが、かつては黄河が更に北を流れ、谷の長さは数十キロに
達したそうだ。しかし、幅は今よりはずっと狭かったらしく、大声で叫べ
ば十分声の届く距離だったようだ。そして、この溝を挟んで項羽と劉邦
熾烈な駆け引きがあった。
 一騎打ちを仕掛けた孟将項羽に対して、剣を交えてもとうてい勝ち目の
ない劉邦は、頭脳作戦に出た。「鴻溝」を隔てた向こうにいる項羽からは、
剣は言うに及ばず、普通なら弓矢すら届かないはずである。そこで、劉邦
は「鴻溝」越しに、項羽の悪事を10挙げて大声で糾弾した。それによって、
漢軍の正義を主張し味方の士気を高めようとしたのだ。10もの悪事を並べ
られた項羽はたまったものではない。さっと、劉邦に向けて一矢放った。
本来なら届かないはずの矢が、項羽の腕に掛かれば、届いてしまうのだ。
しかも劉邦の肩に命中する。劉邦劉邦で、重傷を負っているにもかかわ
らず矢は足に当たったと偽り、相手に弱みを見せまいとした。それどころ
か、項羽の弓の腕の悪さをののしり、逆に恥をかかせる・・・。
と、よくよく考えると子供の喧嘩のようでもあるが、少なくともここ「鴻
溝」を挟んで、中国史上、楚と漢が国の覇権を奪うために激しく争ったこ
とは事実である。
 そういえば、漢王城は?と、例のおばさんに聞いたら、何かしらの物は
残っているそうだが、我々が見に行っても「何も面白くないよ・・・」との
こと。

 そして、両者の睨み合いに終止符をうったのが、「鴻溝の西を以って漢
と為し、東を以って楚と為す」とした盟約である。つまり、「鴻溝」がそ
の時の漢楚の境界であり、中国将棋の盤に書かれている「楚河漢界」も
この歴史故事に由来する。
もっとも、その盟約は即座に劉邦によって破られるのだが・・・。

 現在の鴻溝の両側は、黄土の流出を避けるためにきれいに植林されてお
り、純粋に風景としてみても、我々日本人の目には、十分に明媚に映る。
この日、我々は思わぬ拾い物をした気分で、またもと来た道を鄭州に戻っ
た。
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