河南編

 鄭州の次の目的地、開封へは、本来なら高速バスを利用するのが便利
である。快適な大型バスだし、高速道路を通って2時間弱で到着する。便数
も多い。
しかし、我々は三国時代の大戦で知られる「官渡」を見るべく、東駅発の
中牟県経由の開封行き低速バス(普通のバス、時間はかかるが高速道路を
通らないので途中下車には便利だ)に乗り込んだ。

 そして着いたのが、「官渡鎮」である。ちょうど鄭州開封の中間に
位置する。
 一万に満たない曹操軍が袁紹率いる数十万の大軍を破った大戦が繰り広
げられた場所だ。1800年以上前のことなので、当然、当時のものは何も残
っていない。静かな農村である。だが、ただの農村ではなかった。村中、
異様な匂いが漂っている。どうやら、この地域一帯は大蒜(ニンニク)基
地で今収穫の真っ最中のようだ。異様な匂いは、ニンニクの匂いだった
わけだ。
 バスを降りて、ニンニクの匂いに酔いそうになりながら歩くこと20分、
ようやく見えてきたものは・・・。またしても、廃墟。しかも、畑の真ん中
にちょっとした体育館がいくつも集まったような、巨大な廃墟だ。10年ほ
ど前に三国志テーマパークもどきが建設されたが、今となっては、荒れ果
てて門も閉ざされている。
 その廃墟の近くの小高い丘の上には、曹操騎馬像がある。こちらは、い
つでも見学可能だ。
ちょうど1時頃だったので、昼休みに家に帰っていた小学生たちが、学校に
戻る途中、ここでたむろしていた。
「これ誰か知ってる?」と聞くと、「曹操だろ。」と答える。
「何した人だ?」と聞くと、全員口をつぐんでしまった。
まぁ、当然といえば当然である。
一言二言で曹操を説明できる小学生なんて世界中どこを探してもいないはず
だ。質問が悪かった。
廃墟を見てしまった後なだけに、こんな生活感溢れる観光地(?)も、悪く
ない。
 他に何か見るべき物はないだろうか、と村人に尋ねると、「官渡寺」を
教えてくれた。早速、教えられた通りに行ってみる。曹操像から10分ほど
の所に、この村の規模にしては立派な寺があった。
 面白いことに、この寺はもとは「官渡関帝廟」といったらしい。まさか、
三国志テーマパークの衰退に伴い"関羽"では食べていけなくなった廟が、
仏教寺に鞍替えしたのではあるまいに。
それとも、最近仏教が流行っていると聞いたが、純粋に宗教的理由から寺に
変わったのだろうか。いずれにせよ、中にあるものは基本的に、関帝廟当時
のものがほとんどで、もちろん、本堂には関羽像が祭られている。そして、
その横に申し訳程度に仏様が祭られていた。他には、「官渡新建関廟碑記」
碑などが見所だろうか。

 はて、関羽って官渡の戦いと関係あったっけ? と、素朴な疑問が脳裏を
掠めた。確かに、官渡の戦いの直前、曹操軍に下っていた関羽は、白馬津に
おける戦いで袁紹軍の顔良を討取り、その功績で曹操に義を尽くし、劉備
元に戻った・・・云々、ということだ。
とすると、まさにここ官渡とは関係ないような気がする。
まぁ、いずれにせよ、廟を建てて祭るのは関羽と決まっているので、この際
細かいことは言いっこなしだ。
そうだ、横浜の中華街にだって関帝廟はあるのだ。

                        (つづく)
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