8月17日(金)ラサー成都ー広州(予定)

横浜生まれのりんむうさんは1989年、北京の中央民族学院に留学し
ていました。今回初めて憧憬のチベットへ。
チベット族同学「格多」とも再会でき、いよいよチベットを離れる
ことに・・・・


(文中「り」  りんむうさん   「そ」  そーねいさん)

「帰りたくない〜!」
今日はいよいよチベットを離れる日。旅の終わりが近づいてきた。
飛行機は朝 8:45発。よって例の如く早起き。6:30にはホテルを出発す
る。
まだ日も出ていない暗闇の中、バスはいつものよう交通法規を無視した
スピードとテクニックでかっとんで行く。
最後にこの雄大な景色を目に焼き付けておこう・・・と思っても何も見
えず、空港に着いた頃、ようやく空が白み始めた。

ここで現地ガイドの候さんとはお別れ。例の如くあっさりと挨拶をして、
「わぁ、明日、休みね!」と嬉しそうに帰っていく。

小さな空港なので、何をするにもひとつの所に人が殺到して大変である。
出発ロビーはどう見ても駅の待合室。一応 TVなど備え付け、出発の案
内をテロップでながすなど「高度な技術」を披露してはくれるが、なに
しろ1日に5便位しか飛ばない空港。しかも、そのたった5便分ですら
正確なテロップが追い付かず、間違う始末。やはり一番安心なのは、空
港職員が自ら手で掛け替えてくれる、行き先表示の看板である。

買い物をしようにも小さな商店があるだけ。ロクなものが売っていない。
それでも何もチベットらしいものを買えずにいたので、とりあえず
チベットの”お茶を購入する。

あとは搭乗案内を待つばかり。しかし、通路をはさんで隣の区画に座って
いる団体がどうも気にかかる。
聞けば私達の前の便の乗客らしいが、まだ搭乗できないでいるとのこと。
滑走路が1本しかないチベット・クンガ空港。この飛行機が飛ばなけれ
ば、私達の飛行機も飛べない。

り「ま、チベットだしね。時間通りにはまず、飛ばないでしょ。」

天候や人間の都合(?)で1〜2時間遅れるのは当たり前の土地。
覚悟はできていた(はずであった)。

1時間経過。前便も飛ぶ気配なし。
 り「ちょうどいいや。ゆっくり買い物でもしよ。」
そーねいと23,24才コンビの4人で土産物屋のマニ車を物色、購入する。

2時間経過。ようやく前便が離陸する。
偉「あれの次、私達ね。もうすぐよ。」
しかしいっこうに案内がない。

り「ちょっと〜! 陳麻婆豆腐の昼食は〜??」

この日の予定は、昼は成都で元祖麻婆豆腐の昼食、市内観光後、夜、
広州に着くというもの

女の子4人で、土産物屋で買ったマニ車をグルグル回しながら、
どーか飛行機が飛びますよーに!!」と祈りを捧げる。
この飛行機には、例のN社の団体客も乗るらしい。日本人のツアコン
中国人ガイド2人で30人前後のツアー客をかかえている。

3時間経過。
さすがの中国人達も一体どういうことだ?とざわめき始めた。
しかもN社のツアーガイドは大勢の客をかかえ、右往左往である。
この中国人ガイドが私達のガイド、偉さんの同級生で、二人で情報交換
しつつ、対応に追われている。
偉「同級生、大変ね。あっち、30人位いる。もし、飛行機の乗り継ぎ間
に合わなかったらどうします? 30人分、明日のチケット手配しなく
ちゃならない。30人分、ホテルの部屋、とらなくちゃならない。」

辺りが騒がしくなったと思ったら、空港の服務台に人民が詰めよってい
る。 偉さんも何事かと、その輪に飛び込む。

り「わ〜、すご〜い。」
そ「写真、撮っちゃろか?」
すると偉さんが舌打ちしながら戻って来た。

り「どーでした?」
偉「飛行機、故障ね。修理終わるまで、飛ばない。修理、いつ終わるか
分からない。」
全員「えぇぇぇ〜っ!」

確かに「帰りたくない」と言った。「ここに住める」とも言った。
でも、仏様。私が一番に叶えて欲しい願いはそれじゃあないんだよ!

こうなってしまっては、もはや麻婆豆腐どころではない。果たして飛行機
は直るのか?
再び服務台に人民が群がりだしたので、すわ喧嘩か?と思いきや、みんな
手にジュースを持って満面の笑みで戻ってくる。
偉「チケット、見せるとコーラ貰えます。航空会社からのサービスね。」
そんなコーラ1本でご機嫌になれる中国人達がウラヤマシイ。

時間はまもまく12時。今度は人々が、金属探査機をくぐってぞろぞろと
ロビーへ出ていく。
り「あれ? みんな、何処行くの??」
偉「お昼、用意してある。 さっ! 私達も行きましょう。」
3時間前に通った出発口。逆走したのは初めてである。

空港の外に出ると、悔しい位の快晴。
真っ青な空に白い雲、緑の山の稜線。
今日が観光だったら、どんなに素晴らしかった事か!!

中国ビザ 航空券 港華