仕事探し

そんな訳で、中国オナカいっぱい、
極度の日本シックに陥った私が選んだのは
完全帰国であった。
日本に帰ってからのことは、皆目見当もつかず未知数であり、
完全帰国を決意するまでには やはり、かなり悩んだ。

中国語関係の仕事があるのか、その需要は高いのか、
年齢制限にひっかかりはしないか、私の中国語レベルで通用するのか、
などなど、悩みは尽きなかったが、一旦「もう帰ろう」と決めたら、
すごく精神的に楽になった。
帰ってから日本の情況を見て、改めて身の振り方を考えればいいのだ。
中国でいくら、「仕事がなかったらどうしよう」と悩んでもしょうがない。

結局、私は留学+就業で合わせて約3年半を中国で過ごしたが、
これらの中国生活を通して、一番変わったのは性格だと思う。
日本にいたころは、どちらかというと、ウジウジと考えたり悩む方だったが、
かなりのものまで、ま、いっか・・・と流せるようになったのである。
しかも、なにかといえば、「まー、それは追々・・・」と言ってしまう。
あまりにも何でも「それは追々・・・」と言うので、
「おいおい・・・」と突っ込まれることも多い。
ううっっ、これはマズイっっ、
アバウトな大陸気質をしっかり身につけてしまったようだ。
実際、仕事の心配より何より、日本の生活に適応できるかどうかのほうが
心配であった。

中国での生活を経験したことのある人には分かってもらえると思うが、
中国での暮らしは、ただでさえストレスがたまるので、
「我慢しに来ているわけではないから・・・」と、
しなくても良い(と思われる)我慢は極力しないようにしていたので、
ある意味で、すっかり堪え性のない人間になっていた。
中国生活を通して、忍耐強くなった面もあるし、
堪え性が全くなくなった面もあるように思う。
ちょっと寒い、暑い、荷物が重い、ですぐにタクシーに乗ったり、
少し疲れたな〜と思えば按摩と足つぼマッサージ。
毎晩外食しても知れてるし、経済的には”そこそこ豊かに”
暮らすことができたので、 こんな贅沢、日本に帰ったら
できないだろうなぁ・・・と思うと、やはり少し後ろ髪を引かれたが、
一旦帰ると決めたら、やっぱり気の変わらないうちに帰ろう!と
どんどん帰国準備を進めて行った。

帰ることを決めてからは、買い物三昧の日々であった。
人民元を残してもしょうがないとばかりに、特に、
辞書や書籍関係と映画のDVDや音楽CDなど、
日本で手に入りにくいものは、片っ端から購入した。

以前、先に完全帰国した友達が言っていたのだが、
帰国時に送った船便の荷物は「魔法の箱」なのだそうだ。
中国から送るときは全てが「大事なもの」「必要なもの」なのだが、
3週間ほど経ってから受け取り、日本でオープンすると、
その大半が、「どうでも良いもの」になっているらしい。
そんな話を思い出しながら開けていると、「うーん、なんでこんなの、
送っちゃったかなぁ・・・」とか、「これ、日本じゃ使えないでしょー」
と思うような めちゃめちゃ中国チックな小物とかが、ザクザク出てきた。
うーん、これは確かに3週間で「大事なもの」が「どうでもよいもの」に
変わる魔法の箱だったようだ。
時々、一時帰国していたとはいえ、中国生活が長くなるにつれ、
中国で見ると「これ、イケてる〜!」と思うものが、
日本的には、「うーん・・・」になるものが多いということに気が付かな
かったらしい。

例えば、火をつけると、ピカピカ光って共産党のテーマソングが
鳴り響く毛沢東ライターを、かなりの数を家族や友人にお土産で配ったが、
実際に使っている人を見たことがない。
「これはイケてるぅ〜!」と当時は真剣に思ったが、
今となってみると、貰って困る一品!だったかもしれない。
中国ビザ 航空券 港華