北京で中医学を勉強する 5

辛かった事は午前中の病院実習でした。ここでは、中国人の研修医も一緒です。ある時中国人の研修医が、「お前も吸玉をやってみるか。」私は日本でやったことはありません。もちろんやってみました。私がやり始めた途端、中国人研修医全員が「もっとはやく!おそい、お前は何しているんだ・・・・・」と言います。悪いのはもちろん私なのに毎日チャンスをくれてやらせてくれたのです。しかし私が上達すると彼らは何も言わなくなりました。同じようなことがたくさんあって、初めは辛かったものです。しかし原因はすべてできない私にあり、上達すれば楽しくなりました。
勉強のほかに、精神的に辛かったことがありました。あるとき、今年で七十五歳の男性の老人の新しい患者さんが来ました。この患者さんを治療している時、「お前は、どこの国の人間か?」と質問してきました。もちろん私は「日本人」と答えました。私は中国に来る前からいつかはこの様なことはあると覚悟をしていた。そう、この老人が若かった頃の抗日戦争の話が始まったのです。それだけだったらまだしも、この老人は、若い頃の実際に体験した事をそのまま、話しました。「俺は日本人が嫌いだ。なぜならあいつらは俺の目の前で仲間を殺した。だから、俺も日本人の奴を殺してやった」というような事を話したのです。この時の診察室にはこの老人以外に四人の患者さんと、研修医を含む五人の中国人の医者がいました。いつもなら研修医が私を助けてくれるのに、この時だけは、彼ら全員助けてくれません。というよりは、この老人の言葉にたいして、誰も何も言う事ができなかったのでしょう。沈黙が続きました。この老人に対して、どうすれば仲間に入れてもらえるのか、喜んでもらえるのかなどを考えました。なぜなら、これからまだ実習が続き、この患者さんも、ずっと治療しに来るのです。そして、これからも、このような患者さんに会う可能性もあります。どのように接すればいいのだろうか。患者は人間。だったら、気持ちや姿勢でできる限りの表現をするしかないと、思いました。今までもやってつもりですが、気配りをもっと細かく。そして、自分ができる最大限のやさしさを、理解してもらうように。そんな考えで私は続けたつもりです。そのうち、この老人は私を「日本人のぼうず」と呼ぶようになり、「次は・・・・をやってくれ。」と頼むようになりました。皆も、「このおじいさんはお前のことが好きなんだから、お前が治療してやれ」と言ってくれました。辛い経験でしたが最後はうれしかったです(つづく)

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