北京で中医学を勉強する 6 (完)

中医を学ぶ毎日は私にとって正直なところ辛いものでした。私は辛さのあまり、「中国語を話したくない」という拒絶反応を起こしていました。私の一番の楽しみといえば、夜、ある人に電話をすることでした。電話をして話すだけで一日の辛さや、いやなことなどを忘れることができ、週末に訪ねたときは彼女に励まされてばかりでした。彼女の帰国後はメールでやり取りをしていました。毎日のメールチェックが楽しみでした。彼女以外にも、いろいろな友達に助けられました。中国に来た時の最初のクラスメートのインドネシアの友達、中国語に拒絶反応が出ていたにもかかわらず、彼と会話する時は、忘れていました。そのインドネシアの友達も、もうすでに、帰国してしまい、中国にはいない。私は、友人との結びつきから、日本ではあまり感じなかった「自分ひとりでは生きていけない実感」を持つことができたのです。週末には、皆で酒を飲みに行くことが多くなり気晴らしの機会が増えました。
私はいま中医の大学の寮に住んでいます。三人部屋でルームメートは二人ともドイツ人。一人は医師、もう一人は医学生。私たちの目的は同じです。彼らと私は、別の班で勉強しています。私たちはお互いに質問し合ったり、疲れたときは練習も兼ねて、針、マッサージ、などをしたりしていました。また、私たちと彼らの友達といっしょにあそびに行く事もありました。寮は11時門限ですが、10時半過ぎに出かけていくこともあり、戻ってくるのは夜中の3時頃。係員を起こす事も、しばしば。起こされた係員は私たちに文句を言いたそうな顔をするものの、体のでかいドイツ人が何人もいるために、彼は何もいえない。ドイツ人の横にいたのが、私です。そんな彼らも、もう帰国してしまいました。しかし、彼らから突然メールがくるとなんだか懐かしさがこみ上げてきました。
私は中国で鍼灸の治療方法を見る目的を果たす事ができたと思います。今、思えば、目的以上の事を学ぶ事ができました。たとえば、人との付き合い方、国境を越えた付き合い方の難しさを。私が困った時、皆に助けられ、励まされて、ここまできたことを。同じ学校内の留学生以外にも、助けてくれた人がいました。私が言葉をまったく話す事ができなかった頃からずっと、お世話になっている方もいます。私は皆がいたので辛い事などを乗り越えてくる事ができたと感じます。本当にありがとうございます。私は北京で留学できたことをとても嬉しく思っています。(完)

連載:「中国で中医学を学ぶ」は今号で終了します。ありがとうございました。(原本2001年掲載  2010年再掲載)なお、著者は虎ノ門鍼灸院を開業しています。シーワン*中国語で「希望」の意味です。是非どうぞ!!

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