2002年9月9日玉龍雪山の懐へ(つづき)

しばらく上ると周囲にヒゲのようなものを枝にぶら下げた樹木が現われはじめました。このヒゲは"樹胡子"(文字通り"木のヒゲ")といって海抜3,500メートル前後で見ることができるもの。マオ牛坪の頂上までもう一息です。麓から約40分、ようやくたどりついた頂上は"坪"の名の如く、芝に覆われた緩やかな台地になっていて、500メートルほど離れたリフトの駅と展望台を結ぶ桟道が設けられています。緑が残る台地の向こうには玉龍雪山が横たわっていましたが、瞬く間に霧に覆われ隠れてしまいました。
馬で上がった場所から展望台までは、ゆるいスロープを描く桟道を上って100メートル足らずなのに、ほんの少し上るだけでも息が切れて思うように動けません。そこで上りはあきらめ、やや下ったところに並ぶお店に入り込み、加糖ヤク乳(5元)とヤクの串焼き(1元/串)をとってひと休みしました。ヤクというのは海抜3,000メートル以上の主に青藏高原に棲息する毛の長い高原牛で、肉はちょっと筋張っていますが牛のように乳臭さがなく、辛味のたれをたっぷり絡ませた串焼きは最高に美味…ですが、その隣の店に記念撮影用に飾り立てられたヤクがいたりして、ちょっと複雑な心境でした。
下りは途中から来た道とはちがう緩やかな回り道をとったのでひと安心。この回り道は別料金で15元、と言うのを10元にしてもらいました。このお金は100パーセント少年の収入になるようです。下山したのは11時過ぎ。すっかり和さんを待たせてしまいましたが、彼女は知り合いとおしゃべりに花を咲かせていました。
"マオ牛坪"は昨年開かれたばかり、それまで玉龍雪山を間近に臨む場所といえば"雲杉坪"、ということでこちらにも上ってみることにしました。こんどは和さんも誘ってリフトで上がろうと考えたのですが、乗り物酔いすると言うので、またしても馬で上がる羽目に。雲杉坪の麓には山の雪解け水が浅い川となって、まるで"ミニ白水台"のような景観をつくり出しています。青く澄んだ水の中には観光客を乗せた数頭のヤク、それも黒一色ではなく、どういうわけかみな白と黒のホルスタイン柄です。
この"白水河"河畔にたった一軒しかない観光客用食堂でナシ族家庭料理の昼食をとりました。おかず3品とスープ、ご飯、それに和さんいわく「ナシ族には欠かせない」という焼きシシトウをとって56元、観光地価格といったところでしょうか。
午後になるとほとんどの馬が出払っています。夏の観光シーズンや連休のときにはリフト乗り場とともに馬乗り場もきっと長い行列ができるのでしょうが、いまは幸い戻ってくる馬を待つだけ、それもほどなくやってきました。料金はマオ牛坪と同じ往復63元です。
一行は馬子のお姉さんと二頭の馬にまたがったわたしたち二人。和さんは「怖い、怖い!」といいながら実に楽しそう。道はマオ牛坪ほど険しくなく標高も低いせいか、丈の高い樹木の間の林道を難なく進むだけでいささか物足りない感じです。収穫といえば手綱を持たせてもらったことくらいでしょうか。
約30分ほどでうっそうとした林が開け、終点の雲杉坪に到着します。マオ牛坪は周囲360度見渡せる台地ですが、雲杉坪はその名の如く杉の木立に囲まれた
坪地で、木立に沿って桟道がぐるりと一周し、玉龍雪山の青黒い山肌が壁のように間近に迫っています。
桟道の入口では民族衣装(二種類借りて5元)を貸し出しており、わたしはイ族とミャオ族、和さんはナシ族の衣装で記念撮影。桟道の中央にしつらえられた舞台では、ナシ族、イ族、チベット族と、それぞれの民族衣装をつけた娘さんたちが青年の吹く笛に合わせて、"東巴神"とかかれた石のまわりを回って踊りの練習をしていました。きっと "十一"(国慶節の連休)シーズンにやってくる観光客に披露するのでしょう。帰路はやはり途中から"回り道"。別途料金一人10元ですが、二人で15元にしてもらいました。日差しが強いとはいえ風は爽やか、のどかな山道を馬の背に揺られながら下りていくのはなんとも気持ちよいものです。
ところが、馬から下りて自分の足で歩いたとたん、どっと疲れが出てしまいました。そのまま帰ってゆっくり休めばよかったのでしょうが、日はまだまだ高く、時計を見ればまだ4時にもなっていません。このまま帰るのはちょっともったいない、せっかくだからチベット仏教のお寺"玉峰寺"にも寄ってみよう…と、ちょっと欲張った考え。"100元のお供え"をしないなら行ってもしようがない、と消極的な和さんをなだめすかして、途中このお寺に寄り道することにしました。
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