2004年の読者投稿からです(東京のNさん)。

「体験記と言う事で、これまでで一番最悪の事をお話しします。だいぶ前ですが、価格の面よりJLからCAに変えた折の事、午後3時頃の上海行きに乗るため、昼すぎに成田に入りました。ところがカウンター以前の荷物検査の所でものすごい列。何事かと思いながらも只待っていたら1時間後位にやっと進み出しカウンターに辿り着いた。もう搭乗時間なのにと思いながら、聞き耳を立てるとなにやら乗客ともめている。飛行機が途中で上海に引き返し、到着が夜8時頃になるのだという。CAの社員が(日本人)ヘコヘコしながら皆に謝っているし、乗客は上海で待ち合わせしているのだからMUに乗れるよう手配しろと、湯気を出している。私は乗客皆にくれた、1500円だったか2000円の食事券で仕方なく、食堂街へ行く。その後しっかりと定刻近くに搭乗案内が。8時半皆乗り込んで、何とか滑走を始め安心するが、30分もした時、中国人なまりの日本語で突然放送があった。静岡か浜松上空あたりだろう、お医者さんいませんかー、助けて下さい。再度、子供がぐったりしています、助けて下さいーー、と母親が叫んでいる。日本人のスッチーは不在なのか?。しばらくそのまま上海方向へ飛んでいたが、突然中国語と英語で、成田に引き返す旨放送がある。人命に関わるなら仕方のない事。今日はついてないなーと思いながら居ると、母親が子供を抱いてビジネスクラスの我が席隣へ座る。子供を見やると、意識もありそうだし、苦しんでもいない、まあ熱でもあるのだろうか、そのような感じであった。戻った空港には救急車が待機していた。すぐに親子を下ろし、再出発。エンジンフル回転、滑走を始めたとたんに数百メートルで急停止、なんだー!!これ又びっくり、大たまげ。またまたぐるり廻って、滑走路へ。もう10時だぞー、機内なので上海に連絡も取れず、迎えの車の事を考える。夜食を食いながら、やっと上海に辿り着いたら現地時間の12時10分。空港職員も殆どいない、ガラーンとした空港内。迎えの人たちもまばら。外にはバスが数台待機。取り敢えず何とか虹橋の自宅にたどり着いたら1時半。国営CAはなんともならん。でもあれから又北京まで飛んだのだろうか、考えた。これで一件落着・・・は大間違い。帰国便の変更をするため上海CAに電話する。「期日変更はできません」の返事。45日OPENのはずなのに。日本のチケット会社(注:弊社ではありません)に連絡。「CA東京事務所から、CA上海事務所へ連絡させますから、待ってて下さい」との事。東京事務所で搭乗券発行の際、間違えてOPENにしていなかったらしい。しばらくして、CA上海事務所へ連絡、「東京からは何も連絡有りませんよ、何の話ですか?」と女姐。又、「コウ、コウ、コウだ、どうにかせい」と説明。又東京へ電話する、今度は「上海事務所から東京事務所へ電話させて下さい」との事。CA上海事務所へその旨電話すると、「それはできません、東京からして下さい。」どちらの事務所も電話代が無いのか暇を惜しんでいるのか埒があかない。「エーイ、もう要らん。」新たに変更してくれとCA上海事務所へ電話。「それでは明朝早くチケットを持って来て下さい」との事。エーーーッ!今温州だぞ、それに仕事も残ってるし。仕方なく夜行列車に飛び乗る。次の朝CA上海事務所へ、つっけんどんで偉そうなネーちゃん。変更手数料500元取られたけど、何とか言う通りしてくれたから助かった。しかし、仕事も半端になり、3日間上海で暇をもてあます事に。帰国してチケット販売会社より7000円取り戻したが、その後この一年は、MUのみに変えている」
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