大雪の成田空港で

2006年のメルマガから山形のNさんの投稿を紹介します

1月中旬、上海にいる妻から子供が40℃の熱がでて、長引いてるとの連絡
が入りました。
心配で、会いに行こうと決心、
その時に悩んだのが、仙台-上海か成田-上海でした。

一日でも早く会いたかったので、1月21日(土)CA930 14時55分発31日
(火)帰国 の日程を考えました。
29日(日)は、混んでいて取れませんでした。
仙台便は22日(日)発。

21日当日5時30分起床し、6時30分に家をでました。7時11分発の新
幹線で東京駅に向いました。途中寝たせいもあり、気がついたら大宮でし
た。窓の外を見渡すと、(そうです。関東地区に雪が降った日一面銀世界
でした。山形に住んでいる私にとっては、普通だったのですが…)

電車を乗り継いで、成田空港第二ターミナルに11時30分着。
カウンターからチケットを受け取り、受付カウンターに向かい手続き完了。
早めに行って、免税店でも見て回ろうかと思い、13時30分頃出国手続きに
向いました。

タバコを購入し搭乗口に向うと、香港行きの飛行機が遅れていました。
搭乗口の変更が放送され、変更場所にむかいました。14時15分に搭乗口に
並び待っていましたが、時間変更のことを告げられました。(この時は、
この後に起こる事はまったく予想もしていませんでした。)
2〜3時間遅れるのかな?と思い、妻に「遅れるみたいだって、時間わか
ったら電話するね。」と話し、電話を切りました。

4時間待った19時頃、食事券1000円を貰い食事に行きました。他の航空
会社も遅れているので、レストランは列をつくり待っている人が大勢いま
した。

搭乗口の掲示板には【除雪作業のため順番待ちの状態です。出発時間未
定】と書いてありました。雪国では、あの程度の雪は普通に飛んでいるの
に…と思い待っていました。22時を過ぎた頃掲示板に【成田空港は、2
時まで離発着が可能です。搭乗時間1時】と書いてありました。
本当に1時に搭乗手続きが行われ、飛行機に乗り込みました。

同時刻、成田-北京も搭乗開始していました。

座席に着き、窓の外を見ていると翼の除雪作業を行っている最中でした。
妻に電話をし出発の事を話しておきました。1時30分でもまだ除雪作業
をおこなっていました。2時になっても動きません。スッチー達も、通路
を行ったり来たり。

その後放送があり、「離発着出来ない時間になりました。飛行機から降り
て下さい。」との事でした。また、妻に電話。搭乗口に戻りました。

ふと反対側の搭乗口を見ると北京行き の人たちが戻ってきません。
??

後で、聞いた話ですが、全員そろうのが北京行きの人たちのほうが早かっ
たからだそうです。

搭乗口にいる人たちと乗客が押し問答していました。
明日の出発時間は未定との事でした。床に寝て仮眠をとることにしました。

朝5時頃、パンを配布します。との放送があり貰いに行きました。缶詰に
入った パン、ナ○スコのビスケット一缶と水です。よく見ると、災害用と
書いてありました。よく災害などでニュースにでる映像のような感じでし
た。被災者が体育館にいる感じです。

8時頃また、レストランの食事券を配っていました。食事をすませ戻って
みると、出発時刻15時と書いてありました。

周りがざわめいていました。丸一日遅れている感じです。この時、一日も
早く子供に会いたい一身で成田にしたのが仇となっていることに気づきま
した。仙台にすれば良かったと思いました。

14時頃搭乗口で並びました。時間になっても搭乗口が開きません。掲示
には【16時30分出発】と書き直されました。

ここから大変なことが起こりました。普通では見れない光景です。

前に並んでいる人たちが、ゲートと破り進んでいきました。
私もみんなの流れに乗り通路へ入りました。
通路には、50名ほどいました。通路の先には、扉があり開いていませんで
した。
数分後「開けろ、開けろ」と中国語で言っていました。
その時の様子が日本バッシングで見た映像のような感じがしました。
暴動がおきているような状態です。

15時には出発できませんでしたが、無事飛び立つことが出来ました。
約28時間空港にいました。
ちなみに、機内食がでませんでした。
中には2泊3日と言う人もいたけど、どうしたんでしょう。



(20日の日記はお休みさせていただきます。仕事は通常通りです)
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