犬死はしない

ある友人が10年ほど前に書いたものです。私も同意です。ただしこの文章に表現されている組織や昔日への思い入れのようなものも既になく、淡々と日々を愉しんでいる点、やはり私も年をとってきたのかな?とも思うのです。

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私は大学を卒業するとある新聞社の支局に赴任し、右も左もわからず無我夢中で
働いておりました。そして、赴任3ヶ月ころのある土曜日に社に入って初めて
半日ほど休めることになっていました。ところが支局の駐車場に爆発物(不発)が
置かれる事件に偶然遭いました。一番の新人でしたので、警察の爆発物処理班の
ジュラルミンの盾が取り囲む中に入って、松屋の紙袋に入ったピース缶の爆発物
らしいものの写真を上から何枚も撮ったのを覚えています。
私自身はスーツ姿で、もちろん無防備でした。
その後また数ヶ月休めなかったし、それはそれでやりがいらしき気分は感じていま
した。この会社にまつわる一連の事件では入社前に関西の某支局で犠牲者も出ている
のですが、その頃の私はあのような死に方も悪くない、もし襲撃されたら逃げずに
立派に対処しようと考えていました。
その後思うところがあって俄かに進路を変更し、毀誉褒貶ありながら現在このよう
な仕事をするに至っています。
あの事件からもうすぐ15年たちます。私はその後この会社とかかわりが無く
一連の事件にも関心を失ってしまい、関西某支局で犠牲者の出た5/3は毎年海外旅行に
出ているので思い出すことはほとんどありません。間違っていたら恥ずかしいです
が私の関わった事件についても、もうすぐ3/11で時効になるはずです。
この前お茶を買いたくなったので、このあたりに出かけました。帰りに支局の
前を通りかかったのですが、駐車場も含めて既に取り壊されていました。
きっと社の上層部もあらかた真相の推測はついていて、本音のところでは解決
する気はないのだと思っています。
正直なところ犠牲者には申し訳ないですが、そんなことで一命を落としてしまうのは
まさに犬死です。「言論への攻撃」などと社の商売の道具にされ、週刊誌等で興味
半分に触れられて飯の種を提供するだけ。
例示すると先週の週刊新○という雑誌で、A社で最近起きたセクハラ事件というの
が載っていました。内容は酔った支局長が女性にセクハラしたというもので
A社に限らず新○社にもあるはずの、この業界の常態というべきものでした。
その舞台がたまたま一連の事件で犠牲になられた記者の支局だったことで、「○記者も
草葉の陰で泣いているであろう」という結びでした。
こんな無神経な記事を書いてして自己嫌悪にならないなら、きっとこの新○記者の
感性は死んでいるのでしょう。
○記者のようにいい人として死ねば、こうやって二重にも三重にも傷つけられる
ことになります。
最近は若い頃と違ってあまり難しいことは考えなくなりましたが、それなりに
たくさんの死をやりすごしてきて、いつも同じことーとにかく誰かに利用されて
犬死するのはやめようーといつも思っています。
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