2002年8月14日(火)成都ーラサ

前の方の座席が空いていたので、私だけ換えてもらい、窓の外から見える
海抜5〜6,000m級の山々に見入る。
雪山をいくつも越え、自分が何の苦労もなしに数々の神聖なる山の頂上を、
こうやって上から眺めている事に対し、少し罪悪感を覚える。

そんな厳粛な気持ちになっている私とはうらはらに、相変わらず騒々しい
中国人達。チベットに向かうという気持ちからなのか、それとも飛行機に
乗るという”非日常的行為”が彼らをそうさせるのか、興奮したように大声
で話しまくる。(それが”常”という説もあるが・・・。)

軽食のサービスを終え、暇を持て余し、機内のおしゃべりも最高潮に達した
頃、突然シートベルト着用のアナウンス共に機体が揺れ始めた。
ストーンとエアーポケットに落ちるや、今まであんなに騒がしかった機内が
一瞬、水をうったかのように一斉に「シーン・・・。」
その後は「あいや〜!」「あいよっ!!」の嵐。
しかしあんなにうるさかった人々が、一瞬静まり返ったのは面白かった。

眼下に大きな川が見えてきて、だんだんと近づいてくる。
このまま河原に着陸かと思いきや、突如コンクリートで固められた滑走路
が現れ無事着陸。相変わらず離着陸の技術は高い。

一番前の座席に座っていた為、チベットに一番のりする私。
興奮しちゃいけない、と自らを抑えつつ、ゆっくりとタラップを降りる。
まだ、息苦しさは感じられない。

外は小雨。気温13度。はっきり言って寒い。
タラップの下では解放軍が4~5人、[口合]達を持って幹部のお出迎えで
ある. 挨拶しながら[口合]達をかけている光景は、まさしくチベット
お供で着いて来たと思われる、若者が必死になって報告用の写真を撮って
いるその横で、まるで私も関係者の様な顔をして一緒に写真を撮る。

そーねいも降りて来るが、話しだすと興奮してしまいそうで、妙に無言の
二人。アイ・コンタクトで会話してしまう。

荷物が出てくるまではまだ時間がかかりそうなので、新陳代謝をよく
する為にと(高山病予防!)まずはトイレへと向かう。
すると、その頃から急に体がだるくなってきて、何となく息苦しい。
り「なんか、体が重い・・・。」
そ「そう? 私はまだ平気よ。」

荷物を取り、ガイドに連れられ、ホテルへと向かうバスに乗り込む。
チベットでのガイドは候さんという若〜い女性。
漢族。
重慶出身の超美白な、今時の女の子といった感じ。格好は、私たちなんか
よりずっとおしゃれで若い!!!

「タシデレ」の挨拶と共に[口合]達を貰うと、何だか12年前を思い出す。

空港からラサ市内まではバスをすっとばしても2時間。
雨期の為、増水したヤルツァンポ河を横目に見ながら、バスはひた走る。
途中、民族衣装を着た人々や藏族の小さな村などが見えるが、まだチベット
に来たという実感が湧かない。
しかも高山病の初期症状か、頭が重くてとにかく眠く、こともあろうに
バスの中で熟睡してしまう。

「ちょっと、休憩ねー。」
という声で目を覚ますと、そこには岸壁に彫られた仏像、ネタン大摩崖仏。
道路脇、たんぼの中にあくまでもフツーにあるのがチベットらしい。
ここまで来るとラサ市内まではあと少し。
途中、解放軍の輸送トラックの長蛇の列に出くわしなどしながら
だんだんと街中へと入っていく。

ヤクと藏族の金色の大きな彫像が目に飛び込んできて、ここからはもう
ラサ市内。
チベット解放50周年の垂幕や看板が、やたらと目につく。
「な〜にが解放だよ!」
と、すでに私達の心は藏族になっている。
                             (つづく)

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