華人編

一昨年の夏、チベットへ行った。
チベットは中国人も外国人も入境許可証というものが必要で、
個人旅行が禁止されているため、
必ず、団体ツアーに参加しないといけないのである。
チベット平和開放50周年とかで、厳戒態勢が敷かれていて?
旅行にも規制が加えられていた。
なんでも平和開放30周年のときに、独立を求める大規模なデモが
起きたらしい。
チベット問題はやはりデリケートである。

私は元ハウスメイトのA嬢と二人で参加したのだが、北京でツアーに
申し込み、許可証の手配なども済ませてから成都に飛び、
文化遺産に指定されている九賽溝と黄龍などを回ってから、
ラサへと飛ぶという全12日間の旅であった。

この旅行の詳細については、また機会を改めることにして、
ツアーで一緒になった、アメリカ華僑についてお話しよう。

私たちが参加したチベットツアーは全部で20人あまりで
小型バス2台で移動した。
外国人は日本人が3人とアメリカ華僑が1人の計4人。
この4人の外国人はいずれも中国語が話せたので、
普通の中国人用のツアーに参加したが、
語学ができない人は外国人用のツアーに参加するのが一般的。

このアメリカ華僑の女性は、30代後半で、登山と旅行が趣味だという
女の私が見ても惚れ惚れするような、
小麦色の肌で、引き締まった無駄な脂肪のない体、スラ〜っと背の高い、
ハンサム・ウーマンであった。
同僚のローカルスタッフが、マイネーム イズ グレースとか
言ってると、おいおい、グレースかいな??と思うが、
アイム メアリー、なーいす とぅーみーちゅぅー、と
右手を差し出す彼女は、イングリッシュネームがとてもしっくりきていた。
ま、当たり前なのだが・・・。

華僑の子は、チャイニーズネームを持ってる人が多いが、
彼女は、「親がつけなかったから、私は持ってないし、
チャイニーズ・ネームなんていらない。」と言っていた。

メアリーは30代後半で独身、ちょうど仕事を辞めたばかりで、
バックパッカー度30%でアジアを回っているといった感じ。
チベットの後はカンボジアやマレーシア、ベトナムに行くと言っていた。
彼女の両親は北京から移民し、ワシントンで中華レストランを
経営しているという。
彼女はワシントン生まれのワシントン育ち、
中国語はチャイナタウンの中国語学校で学んだが、
漢字は全く読めないし、書けない、という。
会話レベルは、うーん、半年留学したくらいのレベルだったと思う。

彼女はアメリカ国籍だが、中国人に言わせると「海外同胞」であり、
外国人であって外国人ではない、微妙な位置づけにいる。
「海外同胞」は、海外移民・華僑や台湾人、香港・マカオ人等の総称である。
メインチャイナ以外の人が”海外同胞”といってるのは聞いたことがないので、
これは大陸特有の表現なのかもしれない。
(まぁ、”海外”というだけに、当然かもしれないが)

中国ではどこに行っても、「華僑だ」というと、
必ず「海外同胞」や「同胞」と言われるらしい。
私も、タクシーなどで”海外同胞だろ?”と聞かれることも度々ある。

彼女とは6日間、行動をともにしたが、ツアーで一緒の中国人たちにも、
「お前は毛沢東についてどう思う?」とか、
江沢民がどうのこうの・・・」と、たびたび聞かれていた。
そのたびに彼女は、「よくわからない、よく知らない」と答えていたが、
私とA嬢の外国人女性3人だけになったときに、ちょっと不満気に、
「あたしはアメリカ人よ、いまさら江沢民毛沢東も関係ないわ!
中国人はなんで、いちいちこんなことを聞くのかしら・・・」
と言っていたので、おもわず笑ってしまった。
毛沢東が何をしたか、江沢民が何と言ったかなんて、知らないし、
興味ない、だって私はアメリカ人だもん、と言うのだ。

じゃ、中国に対してどう思う?と聞いたら、
「どうもこうも、私にとっては外国よ。
親は中国人だったかもしれないけど、私はアメリカ人。
アメリカで生まれてアメリカで育ったんだから、中国のことを
母国とか祖国なんて思ったことはない。
どうして中国人は、同胞、同胞って仲間にしたがるのかしら・・・。
迷惑だわ」とも言っていた。

留学生時代にも、華僑の友人は何人かいたが、親や祖父母の世代で
移民した人にとって、「母国・祖国」という概念はかなり希薄なようだ。
自分の代で移民した人、(前出のシステムエンジニア)などとは、
やはり考え方が全然違うようである。        (つづく)
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