回想:瀋陽へ留学

日本軍が爆破を開始したという夜10時半にサイレンがなったと
思ったら、
学生寮は数十人の中国人に、あっという間に包囲されてしまった。
鍋などを手に、ガンガン打ちならし、大声で「日本人は中国から出て
いけ〜」
「歴史を忘れるな」「中国が受けた辱めを忘れない」などと、大声で
叫んでいる。
もっとも私は留学後3週間あまりで、当初は何を言っているのか、
全く聞き取れなかったが、別の日本人が訳してくれた。

その時は、寮がこのまま中国人の暴徒たちに襲撃されるのではないか
と、本当に恐怖で、別の日本人たちと一室に固まって時を過ごした。
そして、なぜか中国語に混じって「イリボン・・・」と韓国語の叫び
声も聞こえる。
どうやらドサクサに紛れて?韓国人も便乗して集まっているらしい。
その騒ぎは約15分ほどで収まり、寮は襲撃されずに、
翌日はいつも通りの平和な朝であった。
別に窓も割られていないし、日本人が暴行を加えられた訳でもなく、
ただ単に、10時半に外国人寮が取り囲まれ、日本人留学生に
罵声を浴びせ、威嚇して帰っていったのだ。

中国人学生が言うには、寮を取り囲むのは、反日のポーズというか、
毎年恒例のお祭りかイベントのようなものなのだそうだ。
なぜお祭りなのか、その辺の感覚は未だに理解できないが、
留学直後の寮包囲には本当にビビったものである。

「9・18」の日は、韓国人も日本人に対して、冷ややかだが
普段はそれはそれは日韓友好的に暮らしていた。
世界中探しても、日本人と韓国人がこんなに友好的に暮らしている
場所はそうそうないだろう、と真剣に思ったほどである。

私の学校の留学生比率は韓国人が8割を占め、日本人が約15%、
残りの5%が欧米人やロシア人、という極端な比率であり、
私のクラスも韓国人と日本人だけで形成されていた。
韓国人留学生が圧倒的に多いため、必然的に友達といえば韓国人に
限られてしまい、
買い物や食事など毎日毎日、韓国人たちと行動を共にしていたので、
韓国料理も週に3〜4回は食べていたように思う。
最初は辛くて辛くて、本当に泣きながら食べていたのだが、
半年もしたら、「あんたホントに日本人?」と韓国人や中国人に呆
れられるくらい、辛いもの強くなり、今は辛さに対する味覚がすっ
かり麻痺してしまったのではと不安になるくらい、辛い物好きに
なっている。

ニンニクが苦手な人と辛い物が苦手な人は東北地方には
留学しないことをお勧めする。
殆どの料理にニンニクが入っているし、辛い料理も多い。
ピーマンだと思って油断していると、めちゃめちゃ大きなシシトウ
だったりして、
これがまた、飛び上がるくらいの激辛だったりする。
留学当初、無防備だった私は一口目で激辛ピーマンを食べてしまい、
口中がヒリヒリして、その日の食事の味が全く分からなかったことが
トラウマになり、何年経っても、ピーマンだけは、最初に少しかじ
ってから食べるようにしている。
私と同じ経験をした人は少なからずいる筈、と信じているのだが。。。

                      (つづく)
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