北京2002 留学回想編

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前回で終了し、「帰国後編」に引き継がれました。

瀋陽へ留学

これまでの中国ライフを振り返り、一番楽しく、充実していたのは 瀋陽で過ごした1年半だったと思う。 中国語の基礎を瀋陽で学んだことは、本当にすごくプラスになったし、 外国人や日本人が少ないので、友達も作りやすい環境で、 遊びに行くような場所も少…

回想:瀋陽へ留学

さて、コリアンタウンの話に戻ろう。 西塔の表通りはハングル語の看板が立ち並ぶ繁華街なのだが 一本裏路地に入ると、雰囲気も一変、瀋陽で一番治安が悪いと言われて いる場所で、 今で言うところの脱北者も多かった。 もちろん私には見分けがつかないが、韓…

瀋陽へ留学

さて、学費や寮費についてお話ししよう。学費や寮費は、各学校差があるようだ。 瀋陽の大学の学費は一年で1500ドル、半期で750ドルだったが、 北京の学校では半年で1300ドル、一年で2500ドルだったから ほぼ倍であるし、寮費も北京は瀋陽の約…

瀋陽へ留学

最初はクラスメートとも意思の疎通が上手くできないが、 同じテキストを使用して同じ速度で授業を受けているので、 クラスメート同士では、そのうち、何となくコミュニケーションが取れるように なってくる。 なんせボキャブラリー量は同じだし、学んだ内容…

回想:瀋陽へ留学

さて、授業の話もしてみよう。授業は入門クラスも、全て中国語で行われる。初級クラスのテキストには説明に中国語と英語が併記されていた。 そして中国語に英語、ボディーランゲッジを交えて 授業は進められていく。 東北地方には朝鮮族が多く、学校にも朝鮮…

回想:瀋陽へ留学

よく、なんで瀋陽に行ったの?と聞かれるが、留学する際に瀋 陽などのマイナーな都市をわざわざ選んで来るような人は、 ちょっと変わった人が多かったように思う。瀋陽市には遼寧大学や東北大学といった比較的有名な大学もあり、 そこは留学生もわりと多いの…

回想:瀋陽へ留学

私が1年半後に転校した北京の学校は、学生の6割が留学生という 大学だったので、正に瀋陽の学校と正反対であった。 学生も近所の人も外国人を見慣れており、 外国人留学生が飽和状態のためか、 北京では、校内で中国人学生に接する機会もほとんどなく、 友…

瀋陽へ留学

さて、クラスの話に戻ろう。 私が最初に入った入門クラスは全部で8人、日本人が二人、韓国人 が6人だった。 この大学には、留学生は全部で約100人ほどで、 おのおのレベル別にクラス編成されていた。クラスは 上級 A班 中級 B班 初級 上 C班 初級 中 D…

回想:瀋陽へ留学

日本軍が爆破を開始したという夜10時半にサイレンがなったと 思ったら、 留学生寮は数十人の中国人に、あっという間に包囲されてしまった。 鍋などを手に、ガンガン打ちならし、大声で「日本人は中国から出て いけ〜」 「歴史を忘れるな」「中国が受けた辱…

回想:瀋陽へ留学

この「九・一八記念館」は瀋陽を象徴する場所のひとつで、 瀋陽で暮らした1年半の間、本当に多くの中国人に、 「九・一八記念館には行ったか?日本人は絶対に行くべきだ」と 言われた。このため、瀋陽の対日感情はかなり複雑なものがあるのも事実である。 …

瀋陽へ留学

私は最初に遼寧省の省都、瀋陽市の某大学の留学生科(本当は違う 呼称だが、とりあえず、こう呼んでおこう)に入学した。瀋陽市は東北地方最大の都市であり、重工業が盛んな工業都市でも ある。 といってもご存知ない方も多いだろう。 瀋陽には一昨年、脱北…

回想 留学編

北京で就職したセンベンさんの連載です。 センベンさんは翻訳も営業活動もしています。 今回からセンベンさんの回想:留学編です。 - さて、最近、「北京で働く」といったテーマもややネタ切れの感 がある。 海外で働いたからといって、毎日ドキドキ、ワクワ…