重慶周辺三国志遺跡 白帝城、張飛廟

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白帝城は紫色をした白帝山上に位置し、四川省奉節県からは4キロの距離のところにあります。元の名前は、紫陽城といい、悠久の歴史を持つ古城です。地形が非常に険しく、古来から軍事の要衝でした。前漢末期、公孫述がこの地で蜀の王として君臨していました。城の中で時々白い気体が沸き起こり、龍が昇るようであったことと、王が自ら白帝と名乗っていたことから白帝城と改名されたと言われています。三国時代に、劉備軍は戦で敗退し白帝城に逃れ家臣たちにあわせる顔がなく、そこで白帝城に永安宮を建造し隠居して暮らしていました。
白帝城の東には夒門、西には八陣図、三方を水に面し、水陸両方の要地であるためかつて歴代の軍事家が必ずこの地で戦ってきました。歴代上の有名な詩人である李白杜甫白居易、劉禹錫、蘇軾、黄庭堅、陸遊などは白帝城に登り、夒門を巡って数多くの詩を残したため白帝城は「詩城」とも称されています。

白帝城託孤

221年、三国蜀漢の皇帝であった劉備関羽の復讐のために兵を挙げて呉を討ちました。222年8月、劉備夷陵の戦いの時、呉の将軍であった陸遜によって夒門の外である白帝城まで退いた時、家臣たちに合わせる顔がなくそこに永安宮を建造し隠居しました。それ以降、劉備は病気でずっと寝たきりになり死にいたりました。この世を去る前に白帝城近くの永安城(今の重慶市奉節県の夒門州城)の永安宮で息子を諸葛亮李厳に託しました。この様子は「白帝城託孤」という三国史上では悲壮な場面として描かれています。

白帝城の風景

白帝城の風景はまるで絵画のようで、歴史旧跡も多く残っているので以前から国内外の観光客に有名な揚子江三峡風景のひとつです。今の白帝城は明と清の時代に建てられたもので、明良殿、武侯祠、観景亭、望江楼などの建物があります。また他にも劉備諸葛亮関羽張飛などの金塑像及び風箱峡懸棺の展示もあります。

三峡ダム完成後、水位は上昇しました。白帝城は四方を水に囲まれ人間仙境となり、景色も以前よりも一層すばらしくなり、遊覧船に乗り城の中まで行くことができます。

白帝廟

公孫述が帝位についた時、各地は戦乱が激しかったのですが白帝城の一帯は比較的に穏やかでした。地元の人々は公孫述を記念するために、わざわざ白帝城に「白帝廟」を建設し、塑像を造って供えました。明の時代になると公孫述の塑像は劉備の塑像に取って代わりました。廟の中に関羽張飛諸葛亮の塑像もありますが「白帝廟」の名は変わることなくそのまま使われています。

白帝廟の中には歴代の詩文や石碑彫刻が非常に多く、展示されている文化財や工芸品は1000を超えます。そのうち春秋時代から戦国時代へと変わった時の有名な巴蜀銅剣があります。その形は柳の葉のようで、巧みな技術で作られており完璧です。きっと古代巴人の知恵と彼らの腕前に感動することでしょう。東西2か所にある碑林には石碑70余基があり、そのうち隋代のもの1300〜1400年の歴史があります。東碑林にある「鳳凰碑」と「竹葉碑」は最も有名です。
以前の張飛

張飛は殺害されたのち頭部は川へ捨てられ、その頭部を拾った一人の漁師によって飛鳳山の麓に埋葬されたといわれています。人々は張飛の「義と勇」を称えるために張飛廟を建てました。そのため「張飛の頭は雲陽にあり、体は閬中にある」という言い伝えがあります。毎年旧暦の八月八日になると、飛鳳山では張飛を祀るイベントが行われ多くの観光客が訪れます。

張飛廟は蜀漢の末期に創建され、数度の改修を経て1700年あまりの長い歴史を持っています。張飛廟は飛鳳山の麓に位置しており、中には多くの貴重な史料と石碑が保存されています。世にも珍しい宝物は200点を超え、「巴蜀聖景、文藻聖地」ともいわれています。廟の前には川に向かって石造りの壁があり、そこには「江上風清」の四文字が書かれ、その筆さばきは雄健で美しいです。廟の中には張飛の像があるほか、漢と唐の時代以後の詩文、書画の彫刻や他の文物など数百点が収蔵されています。しかし残念なことにここは三峡ダムの建設により水没してしまいました。

移転後の張飛

三峡ダムの建設のため、張飛廟は唯一の移築建物として、2002年10月8月に閉館となり、川を30キロ遡った場所、元の雲陽県の飛鳳山から盤石鎮の龍安村に移転しました。2003年7月19日に元の張飛廟を再現し建てられた新張飛廟は正式に開館しました。張飛廟を移転する際の費用は計り知れないほどの額だったそうです。

移転された張飛廟は雲陽県の新しい町と川を中心に反対側にあり、互いに引き立て合っていて趣があります。廟内は本堂、仏堂、結義楼、助風楼、杜鵑亭などからなっており、立派で、独特な建築群を構成しています。廟の周りには「張」という字が書かれた旗がたくさんはためいています。廟内に入るとまず多くの書道家や画家の彫刻があります。張飛廟は建築スタイルが独特であるだけではなく保存されている書画や彫刻も珍しく、「文絶世、書法絶世,彫刻絶世」といわれています。

四川閬(ロウ)中張飛

漢桓侯祠は張飛廟とも呼ばれており、四川省閬中市古城区西街59号にあります。この地の人々は殺害された張飛の忠誠且つ勇敢な生涯をたたえるために、この祠を築きました。現在までに1700年あまりの歴史があります。唐の時代には「張侯祠」、明の時代には「雄威廟」と呼ばれ、清の時代に入ってからは「桓侯祠」と呼ばれるようになりました。「桓侯」は張飛諡号です。

現存の桓侯祠は明と清の時代に再建されたもので、敷地面積は5000平方メートルを超えます。山門、敵万楼、納屋、大殿、後殿、墓亭、墓地などからなっており、建築面積だけでも2200平方メールにも達し、立派で美しく三国文化を代表する一大聖地になっています。


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