青海省編

日月山

 青海湖に向けての道中、見逃せないのが日月山である。
青海湖の東側に位置する。

文成公主という唐のお姫様が吐蕃チベット)に嫁入りする時に通った
峠として中国では知らない人がいないほど有名である。
 日月山へは、青海省博物館のある新寧広場近くの新寧路客運站から出
発する共和行きの中距離バスに乗り、途中下車することにした。
が、この計画がかなり無謀であったことが数時間後に発覚した。

中国の高速道路網は年々整備が進み、バス旅行がいっそう快適になって
きた。揺れは少ないし、スピードも速い、目的地までの所要時間は大幅に短縮
されている。

しかしここに、「高速道路は必ずしも観光地の脇を通っていない」とい
う落とし穴があったのである。
旧道を通っていた以前のバスであれば、日月山の峠を通っていたので途
中下車で簡単に観光できたのであるが、高速道路完成後の日月山観光は、
観光バスに乗るか自家用車で行くのが普通になってしまったようだ。

 余談だが、大都市間を結ぶ高速バスに乗り途中の街で下車すると高速
道路の出口で降ろされることがよくある。
うまくしたものでエンジン付き三輪車か何かが待っていて街中まで乗っ
けてくれるのであるが…。

 バスは8時半頃出発。西寧?共和間は便数も多く、あまり混まない。
西寧の街を出るとバスはすぐに高速道路に入り、澄んだ空気の中を快調
に飛ばしていく。
2時間少し来たところで運転手が我々に降りるよう促す。
降りてみると、高速道路から日月山に行く道が分岐するところだった。

改めて「日月山にあるはずの2つの亭はどこ?」と周りを見渡す。
足元から続く未舗装の道は、緑の斜面を緩やかに曲がりくねりながら登
っていき、稜線に消える。
そのはるか彼方の稜線近くにどうやら、2つの小高い頂があり、おのおの
亭が建っている。
我々の目的地、日月山の日亭と月亭だ。
四方に広がる牧草は、緑の絨毯を敷き詰めたように色濃く、遠くに放牧
されている羊やヤクが白い小さな点となって散らばっているばかり。
澄んだ空気と雄大な景色は人の距離感を錯覚させるようで、30分も歩け
ば着くだろうと、軽く考え、元気に歩き始めた。

 途中、近づくにつれ日月山の麓に観光施設がはっきり見て取れてきた。
チベット族のおばさんがマイカー族の観光客目当てにヨーグルトの屋台
(テント)を出していたりもするが、それ以外は概ね牧草地でヤクがの
んびり草を食んでいるような、至って牧歌的な景色。
文成公主も同じような景色を眺め、同じ道を来たのだと思うと、恐ろし
く長い距離ではあるがこの道を歩くのもまぁ悪くはない、と依然プチハ
イキング気分である。

 しかし、麓の観光施設(日月山風景区)までは、我々の予想をはるか
に上回り、たっぷり1時間以上かかってしまった。
疲れ果てた結果、ようやく今回のアクセス方法が無謀だったことに気づ
いた。
西寧のホテルのフロントや街の旅行会社で申し込む「青海湖一日遊」で
訪れる場合は問題ないが、路線バスで日月山を訪れる場合は注意が必要
だ(最寄りの街・倒淌河まで行き、タクシーをチャーターすることもで
きる)。
日月山風景区は、なだらかな丘陵になっていて、山というよりむしろ
緑豊かな高原というほうがふさわしい。
2つの亭は、日亭・月亭といい、峠道を真ん中に挟んでほぼ対象に向か
い合うように建っている。風景区の入り口から2つの亭まで一筋の通路
が作られていて、通路沿いに文成公主紀念館はじめいくつかの観光施
設と文成公主像、「唐蕃古道」碑などがある。
最近整備されたらしく、どれもこれも真新しい。綺麗な白毛のヤクも
いる。観光用なので、乗ったり、記念撮影したりできるが、もちろん
有料である。

 この地はもともとは山頂の土質が赤色を帯びていたことから「赤嶺」
と呼ばれていたが、唐の太宗の娘・文成公主吐蕃のソンツェン・ガ
ムポ王に輿入れする際に通った故事にちなんで「日月山」と呼ばれる
ようになったそうだ。その故事というのが人間的で面白い。
 
 734年、文成公主吐蕃の王に嫁ぐため長安を離れた。唐と吐蕃の境
界であるこの地まで来た時、西の吐蕃の方を眺めながら涙した。
もちろん、政略結婚の犠牲者として、華やかな文化の中心であった唐
の都からおおよそ未知の国に嫁すわけで、悲しくない方がおかしい。
彼女は、父が別れ際に持たせてくれた「日月宝鏡」を見て故郷を偲ぼ
うと思い立ち、それを取り出したのだが、なぜか石で作った粗末な鏡
だった。
悲しむ文成公主に向かって、同行していた吐蕃の使者、ンゴル・トン
ゼが
「あなたの父上は、天下の富を手にしていると言うのに、あなたに送
ったのは石の鏡だ。財を惜しんで人を惜しまない、(そんな所に)何
の未練を残すというのか?」
と言い放つ。
彼女は失意のどん底にありながらも、毅然と吐蕃に向かう決意を新た
にし、その鏡を投げ捨てた…。
そして、その鏡の名前が日月山の名の由来となったわけである。
 
 実はこの話には裏があって、ンゴル・トンゼが文成公主の唐に対す
る未練を断ち切るために、わざと「日月宝鏡」を石の鏡にすり替えた
というのである。
文成公主はその後、無事に吐蕃に辿り着き、ソンツェン・ガムポの2番
目の妻として迎えられた。
また、唐の文化を吐蕃に持ち込み、吐蕃の人々に大いに敬愛されたと
言う。ラサの大昭寺(ジョカン)には、文成公主像が祭られていて、
今でもチベットの人々に愛されている。

 日月山風景区内を2つの亭に向かって歩きながら、気づいた事がある。空気が
薄いのである。海抜おおよそ3500メートルということらしいが、
少し歩調を速めただけでゼイゼイする。
 
 そんなこんなでようやく辿り着いた日亭月亭、向かって右が日亭、
左が月亭である。
月亭の中には「文成公主進蔵紀念碑」が納められており、また、日亭
には古くこの地で野ざらしになっていた「日月山」碑と、80年代に建
てられた「唐蕃分界」碑がある。
両方の亭の壁には文成公主とソンツェン・ガムポの婚姻をテーマにした
壁画もはめられている。

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